けんちゅうじ|浄土宗|徳興山
建中寺愛知県 車道駅
参拝/5:00~17:00
寺務所/9:00~17:00(12:00~13:00を除く)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 10台程度 |
尾張随一の広大な敷地面積を誇る歴代尾張徳川家の菩提寺。二代藩主光友が父・義直追善供養のため建立した。
(名古屋時代MAPより)
歴史ある寺院です。
尾張徳川家の菩提寺です。
東海三十六不動尊霊場第8番の建中寺に参拝させていただきました。
今回はお不動さんにお参りして、御朱印の書き入れをお願いしました。
三門脇には石柱が
三門
葵のご紋、なぜか撮ってしまいます
手水舎
明王殿(不動堂)
本堂
コロナも段々と落ち着いてきました。落ち着いたら行きたいとずーっと思っていた所があります。それは名古屋です。今から2年半前位のコロナの流行り始め頃に名古屋の大須や中村区の有名な寺社にお邪魔して以来自粛しておりました。10月1日の土曜日は朝から快晴で、絶好のホトカミ日和になりました(笑)行くしかありません。
名古屋で最初に行く所は建中寺と決めていました。父親の実家が名古屋の東区にあって、子供の頃は毎年正月に家族全員で遊びに行きました。そこでよく連れて行ってもらったのが建中寺でした。古くて大きなお寺としか印象がなく、むしろ隣の建中寺公園で遊ぶのが楽しみででした。
最近になって色々調べてみると凄い所だということがわかりました。まず創建が尾張徳川藩主二代目の光友公が初代の義直公の菩提のために建てられたこと。その後は菩提寺として尾張徳川家代々の廟所になっているそうです。次に先の大戦の名古屋大空襲で名古屋城を含め、多くの寺社が焼失した中で、奇跡的にほとんど被害を受けなかったということで、江戸時代のままの姿を留めていることです。
まずは尾張徳川の勉強のため徳川美術館に行きました。色々お宝は見れましたが、大名の調度品が多く、あまり歴史的な勉強にはなりませんでした🥲
次は隣の徳川園です。
都会の中ということを忘れてしまうような素晴らしい庭園でした。
そこから1km位離れた所に建中寺がありました。
寺号標です。
山門です。建中寺は戦争では焼けなかったのですが、天明5年(1785)の大曽根の大火で、この山門と総門を残して全部焼失してしまいました。2年後には全て再建されました。さすが尾張徳川家です。この門は創建当時(1652年)の建築物です。
2階建てで実に堂々としています。
葵の御紋の扉に痺れます🤩
手水舎
ちゃんと柄杓がありました。
精巧に彫刻された燈明
不動明王が祀られている不動堂
隣の地蔵菩薩堂
観音様
本堂です。子供の頃の印象通り大きいです。
こちらでお参りしようと近づいたら、
中に入れそうです。
何時でもお参りできそうな感じ。
中央は御本尊の阿弥陀如来様です。
装飾が凄い! 本堂の裏手には尾張徳川家代々の霊廟があり、極彩色で飾られているそうですが、当然ながら入れませんでした。
鐘楼です。天明7年(1787)再建。
経蔵です。文政11年(1828)に建立。内部に八角輪蔵があり、大蔵経5,800巻が収められています。実際に回転させることができるそうです。
書院。本堂にしてもいい位の風格。
ちょっと離れた建中寺公園の所の総門です。こちらも創建当時の建物です。
御朱印は寺務所で書いて頂きました。
ありがとうございました。
東海三十六不動尊霊場 第8番札所 建中寺
長久寺参拝後に訪れましたが、建中寺は長久寺と共通して言える事としては、名古屋市内のお寺としてはかなり大きい。5万坪の敷地を有するとのことです。また、徳川家に所縁があるお寺で、尾張第2代目藩主徳川光友公が、初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、尾張徳川家先祖代々の菩提寺として創建したとのことです。
寺号標
建中寺公園にある総門
建中寺公園 参道になっていますね
三門 慶安四年(1651)創建当時の建築物で、総檜造り三間重層門の建築様式で、本瓦葺きである。
三門とは、空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持つ。
佛教の覚りの境地を表すものである。
別名山門とも表記する。
葵の御紋
龍🐉の精巧な彫物の燈籠
不動堂 こちらのお不動さまは徳川家に代々伝えられていた秘仏で、徳川家康公の念持仏で勝軍不動と言われていたの説があるそうです
開山堂 本尊阿弥陀如来を中心として建中寺の開山上人中興上人の木像を安置し、代々の住職の位牌が祀られている。
本堂 天明七年(1787)大火の後に再建されたもので、入母屋造り本瓦葺きで、格調高く古式を保っている。
間口十五間(27m)奥行十四間(25.2m)建坪二一〇坪(700㎡)の巨大な木造建築で、現在名古屋市内の木造建築物としては最大のものである。
本尊阿弥陀如来は、開山廓呑上人が結城弘経寺から招来された、止利仏師作と伝えられる中品中生の印を結ばれた大変貴重な仏像で
その円満な相好は拝する者に対して清らかな信心を起こさせるものである。
経蔵
鐘楼
住所 | 愛知県名古屋市東区筒井1-7-57 |
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行き方 | 名古屋駅バスターミナルから「幹 名駅1系統」で「東区役所バス停」下車 徒歩5分
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名称 | 建中寺 |
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読み方 | けんちゅうじ |
参拝時間 | 参拝/5:00~17:00
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トイレ | 本堂左側 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 052-935-3845 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.kenchuji.com/ |
お守り | あり |
東海三十六不動尊霊場 |
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ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 徳興山 |
院号 | 崇仁院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 慶安4年(1651) |
開山・開基 | (開基)徳川光友 (開山)成譽廊呑上人 |
文化財 | 【名古屋市指定文化財】三門(三間重層門)、本堂、鐘楼、開山堂、経蔵 |
体験 | 御朱印重要文化財祭り有名人のお墓札所・七福神巡り除夜の鐘 |
概要 | 建中寺(けんちゅうじ)は、愛知県名古屋市東区筒井にある浄土宗の寺院。山号は徳興山。本尊は阿弥陀如来。江戸時代を通じて代々の尾張藩主の廟が置かれていた。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 慶安4年(1651年)に第2代尾張藩主徳川光友が、父である初代藩主徳川義直の菩提を弔う為に、また、尾張徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立された。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、4万8千坪(158,400平方メートル)の境内に多くの堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。江戸時代を通じて無本寺(別格本山)として、塔頭寺院と末寺も多数有していた。 慶安5年(1652年)、総...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通機関[編集] 名古屋市営バス「東区役所」停留所より徒歩で東へ約5分。 基幹バス(名古屋市営バス・名鉄バス)「山口町」停留所より徒歩で南へ約10分。 名古屋市営地下鉄桜通線 車道駅より徒歩で北西へ約10分。 |
引用元情報 | 「建中寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BB%BA%E4%B8%AD%E5%AF%BA&oldid=101986402 |
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