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御朱印 | - | ||
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駐車場 | なし |
姥堂(善立寺)について
大正時代まで熱田区内には精進川が流れ、東海道には裁断橋が架けられていました。また、精進川を三途の川と見立て、橋のたもとには死者の衣服を奪い取る奪衣婆(だつえば)をまつる姥堂がありました。橋の名の由来には、死者を閻魔大王が裁断する場という説もあります。
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熱田区にある善立寺、通称名の姥堂です。
裁断橋のレリーフがありますね。
江南市or大口町の裁断橋はレプリカと聞き及んでいますが
此方にて橋跡として残されているのですね。
新堀川は旧名を精進川でした。
精進川は明治に入ってから運河として改修され新堀川となり
大正時代には、埋められてしまった。
裁断橋は、精進川に架けられた旧東海道の橋で、
尾張名所図会にも掲載されています。
古くは1509年(永正6年)の『熱田講式』にも
その名が見られ、袂にある姥堂は1358年(延文3年)の創建
との記述にがあり、その頃から建っていたと推定。
一見するとお寺の様じゃないですね。
通称名も姥堂って(^◇^;)
これを読んで直ぐにあれかも!?って思いました。
堀尾金助の名前を見て間違いないと確信も
都々逸発祥の地、これは全く知らなかった。
寄席とかは幼少の折から見て聞いてきていたのですけどね。
由来書き
お地蔵さん
扁額
わずかだけれど、見えるっ!
人が死んだ後、最初に出会う冥界の官吏が「奪衣婆」です。三途の川で亡者の衣類を剥ぎ取る恐い恐いババアです。
この「姥堂」は、もともと熱田神宮の涙ヶ池のそばにあったものを三途の川に見立てた精進川に掛かる裁断橋の畔に移したとされます。「姥堂」には、「奪衣婆」らしき像が祀られています。なにやら、伝説的なお話しが・・・・。
永禄の頃。ある僧侶が精進川を徒歩で渡ろうとしたが、溺れて死んでしまった。
川のほとりに貧欲な老婆がいて溺死した僧侶の衣類を剥ぎ取った。
程なくして、老婆は亡くなったが欲深い老婆なので、霊魂が夜になるとあたりをさまよった。
そこで、供養のため三途の川の婆像をここに安置したそうな。
姥堂の前に裁断橋のレプリカ。
姥堂
こちらの奪衣婆は、タケル君のお母さんか宮ちゃんだとする説も。
熱田は都々逸(どどいつ)の発祥地。「都々逸はへたでも味噌汁は上手」というCMが昔々ありました。
(ちなみに写真)
丹羽郡大口町の五条川に姥堂の山門と裁断橋がリアルに再現されてます。
名称 | 姥堂(善立寺) |
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詳細情報
ご本尊 | 奪衣婆像 |
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宗旨・宗派 | |
創建時代 | 延文3年(1358) |
開山・開基 | (開山)法順上人 |
Wikipediaからの引用
概要 | 姥堂(うばどう)は、愛知県名古屋市熱田区伝馬二丁目にある時宗の寺院。 |
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歴史 | 概略[編集] 時宗四条派・円福寺の末寺で、延文3年(1358年)法順上人と厳阿上人の創建と伝わる[1][2]。かつては精進川に掛かる旧東海道の裁断橋西南角の畔にあって[1]、川を三途の川に見立てて奪衣婆を本尊とし[3]、これは熱田神宮の涙ヶ池のそばにあったものを移したものだったという[1][4]。天正年間に火災で寺の縁起などを焼失したが、慶長10年(1605年)に再建[1]。明治維新前の一時期、寺号を善立寺としたが後に復した[1]。 1945年(昭和20年)の熱田空襲で奪衣婆像を含めて全山を焼失して戦後に再建されたが[5]、現在の建物は1993年(平成5年)に再度建て直されたもの。入口に...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 名古屋市営地下鉄名城線熱田神宮伝馬町駅より徒歩約2分。 名鉄名古屋本線・常滑線神宮前駅より徒歩約8分。 JR東海道本線熱田駅より徒歩約12分。 円福寺から南西に徒歩3分。 |
引用元情報 | 「姥堂」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A7%A5%E5%A0%82&oldid=97992872 |
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