きさじんじゃ
岐佐神社静岡県 弁天島駅
参拝/24時間
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 15台 |
【遠江國 式内社巡り】
岐佐神社(きさ~)は、静岡県浜松市西区舞阪町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は蚶貝比賣命(きさがいひめ;アカガイの神)、蛤貝比賣命(うむがいひめ;ハマグリの神)。祭神は、『古事記』で兄神である八十神たちに猪であると騙されて焼けた大石を抱き止め大火傷を負った大国主命の治療にあったった神皇産霊神の二柱の娘神。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 敷智郡 岐佐神社 小」に比定されている。社伝によると、戦国時代の1498年の地震津波で浜名湖の湖口が切れて社殿が水中に標没した。その後、住民が砂丘上の柳の古木の根本に「岐佐大明神」の小神祠を見つけ、現在地に社殿を建立し祀ったとしている。江戸時代に入り、1610年に領主・伊奈忠次が神領3石を寄進、1648年には徳川幕府から朱印地5石を下賜された。明治に入り、郷社に列した。
当社は、JR東海道本線・弁天島駅の南東1kmの、浜名湖と外海が繋がる今切口舞阪堤、舞坂漁港近くの住宅密集地帯の中にある。海辺の近くの元漁師町でほとんどが平坦だが、当社境内のみ小高くなっている。境内サイズは旧郷社格相当でなかなかの広さがある。漁業の盛んな地域の氏神で、水産・漁業の守り神として古来漁民の信仰を集めてきたということなので、そう思って境内を歩くと、漂う潮の香りとともに海辺の古社の雰囲気がある。
今回は、遠江國の式内社ということで参拝することに。参拝時は平日の午後、参拝者は自分以外には見掛けなかった。
※元の参拝スケジュールにはなかったが、曾許乃御立神社の宮司さんと遠江國式内社について話をしている時に、日本でも珍しい「貝の女神」の神社でおススメとのことだったので参拝してみた。
※通常だと当社は有人で御朱印を拝受できるようだが、当日は拝殿前に御朱印中止の旨の立て看板が立っていた。社務所が工事中だからかな...涙
境内南端入口にある<一の鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐってすぐ右手にある<旧社殿の鬼瓦>。
鳥居をくぐってすぐ左側にある<手水舎>。
参道左側にある境内社。
参道進んで<二の鳥居>。
参道進んで<三の鳥居>。
三の鳥居をくぐると、社殿への階段が現れる。
階段を登り切ったところから<社殿>を望む。拝殿前の巨木が気になる。
参道左側にある<狛犬>。おめめまんまる、かわいい系。
参道右側にある<狛犬>。
<拝殿>全景。端正な風貌。屋根上で獅子が舞う。
<拝殿>正面。「岐佐神社」と刻まれた簡素な扁額。
※張り紙には「元旦に御朱印帳を預けた○○様、ご連絡をお待ちしております」とある。宮司さん達が参拝者を大事にしていることが分かって、ほっこり。(o^―^o)
拝殿前の<御神木>。なかなか見事。
<社殿>全景。
拝殿の左側にある<赤猪石(あかいし)>。兄君たちの謀略により、大国主命がこの焼けた大石を抱き止め、大火傷により命を落としたとされる。当社2祭神の治療で大国主の命を蘇生したとされている。
拝殿後ろの<本殿>。綺麗な建物で覆われている。
拝殿右側には、拝殿と繋がる建物がある。
本殿の右側奥にも、御神木級の巨木が林立している。この場所が古くからの祭祀場であったことが分かる。
拝殿には親切にも立札があって、本日は御朱印対応していないとのこと...涙
拝殿前から境内入口方向を見下ろす。境内の多くの部分がコンクリでしっかりと整備されている。
参道から見て境内社の奥、境内西側に建つ<社務所>。当日工事中。
その手前には、古い立派な社号標。(^▽^)/
名称 | 岐佐神社 |
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読み方 | きさじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 053-592-0304 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.kisa-jinja.jp/ |
SNS |
ご祭神 | 《主》蚶貝比売命,蛤貝比売命,《配》市杵島比売命 |
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ご由緒 | 岐佐神社は町の中央部の小高い丘に鎮座する舞阪の氏神様です。御祭神は蚶貝比売命と蛤貝比売命。蚶貝比売命は赤貝の神、蛤貝比売命は蛤の神。昔、この地を象(きさ)島(しま)と言ったのはキサガイが多く採れたからという。ハマグリは江戸時代、舞坂宿の名物でした。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り七五三御朱印お守り祭り |
概要 | 岐佐神社(きさじんじゃ)は、静岡県浜松市中央区舞坂町に鎮座する神社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 明応の津波(1498年)により、舞澤の郷と共に流されたが、東の松林(現在地)に神祠が漂着したため、その地に社殿を造営して祀った。 天正2年(1574年)に本殿を再建。慶長6年(1601年)には伊奈備前守より墨印石高三石を与えられ、三代将軍徳川家光以下、歴代将軍より朱印五石を与えられた。 明治6年、郷社に列せられた。大正元年に本殿を造営、大正13年に神饌幣帛料供進社の指定を受けた[1]。 平成22年の修復事業により本殿の立て起こし、拝殿・覆屋の屋根瓦葺き替えなどを実施した。 ^ 静岡県神社庁. “岐佐神社”. 2016年7月31日閲覧。 |
引用元情報 | 「岐佐神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B2%90%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102047805 |
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