うまみおかわたむきじんじゃ
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に
馬見岡綿向神社について
<3>猪の像
欽明天皇の御代、蒲生稲置三麿、山部連羽咋が綿向山の山中で白髪の老人と遭遇します。老人が出雲の国より渡来した開拓神を名乗った事により二人は祠を建立。老人と遭遇する前、二人は猪の足跡を発見していた事に因み、猪は神様の使いとみなされ、以来馬見綿向神社の社殿、神輿などの装飾として使われています。
平成19年には氏子の奉納された大きな猪像があります。
おすすめの投稿
545年綿向山の頂上に天穂日命を祀った祠を建てたことに始まる。
796年里宮として、山頂の大嵩神社が現在地に遷された。
以来蒲生上郡の総社、産土神として崇敬を集めている。
鎌倉、室町時代にかけてこの地の領主だった蒲生氏は氏神として庇護し、江戸時代は近江日野商人の崇敬を集め、拝殿、絵馬殿、石灯篭、石橋などが寄進されている。
本殿
本殿
本殿
本殿
拝殿
拝殿
拝殿
村井御前社
榊御前社
八幡宮
安平稲荷神社
安平稲荷神社
富士浅間神社
富士浅間神社
池之社・出雲神社
池之社・出雲神社
天満宮
事比羅神社
事比羅神社
神明神社
神楽殿
絵馬殿
玉影神社
歴史
神武天皇の御代、近江日野の東方「綿向山」に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが始まりと伝える。
その後、平安時代の延暦15年(796)に里宮として現在の地に遷し祀られたという。以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の大宮としていつの時代も当地の産土神としての人々の信仰の中心となってきた。
鎌倉時代から安土桃山時代、この地の領主であった蒲生氏一族は氏神として当社を尊び庇護し、江戸時代には全国に名を馳せた近江商人の中の日野商人の財力に支えられ、出世開運の神として崇敬が集められた。
明治9年郷社、明治42年県社に列せられた。
綿向山山頂に祀る奥宮は古来より20年毎に建て替える式年遷宮が今も続けられている。
名称 | 馬見岡綿向神社 |
---|---|
読み方 | うまみおかわたむきじんじゃ |
通称 | 綿向さん |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
絵馬 | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》天穂日命,天夷鳥命,武三熊大人命 |
---|---|
創建時代 | 欽明天皇6年(545)綿向山頂上に祠。延暦15年(796)現在の地に遷祀。 |
ご由緒 | 神武天皇の御代、近江日野の東方「綿向山」に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが始まりと伝える。
|
体験 | おみくじ絵馬御朱印 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
15
0