さきょういなりじんじゃ
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左京稲荷神社について
石鳥居は文政13年(1830)に信州高遠(現在の長野県伊那市高遠町)の石工が製作したもので社殿には天保2年(1831)に正三位源重成謹が書いたとされる「正一位稲荷大明神」の額が掲げられています。社殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は稲荷神社らしく朱色で彩られています。鳥居の前には複数の「左京稲荷」を記した提灯がぶら下げられ、信仰の篤さが窺えます。
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ここは煌々と灯りがついていました。
おどり開催中も人様が立ち替わり入れ替わり出入りして
いるので小さいながらも人気があるのかな?と思われますね。
煌々と提灯が眩しい
神社由来
嘉永5年の手水鉢
鳥居も古そうです。
調べると、1830年(文政13年)の建立ということがわかりました。
明治〜大正にかけて近隣で土砂災害があるも、それを乗り越えて残っているので併せて霊験あらたかな神社と思えますね。
お手入れもされて、灯りもあるので、ちゃんと管理されているんだなぁと感じました。
歴史
当社は寛保11年(1741)の創建で、祭神は正一位稲荷大明神をお祀りしている。このあたりは旗本3千石金森左京の屋敷跡で現在も左京町と言っている。金森左京は元郡上藩主金森頼錦の分家であり、本家が宝暦の百姓一揆で断絶の時、一族で只一人特にお家存続を許され幕末の頃まで栄えた。この稲荷神社は左京の守護神であり、今日に至まで一族繁栄を願う数多くの人々から崇敬されている。
名称 | 左京稲荷神社 |
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読み方 | さきょういなりじんじゃ |
ホームページ | http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1408&shrname=★稲荷神社★ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》正一位稲荷大明神 |
---|---|
創建時代 | 1741年(寛保11年) |
本殿 | 一間社流造 |
ご由緒 | 当社は寛保11年(1741)の創建で、祭神は正一位稲荷大明神をお祀りしている。このあたりは旗本3千石金森左京の屋敷跡で現在も左京町と言っている。金森左京は元郡上藩主金森頼錦の分家であり、本家が宝暦の百姓一揆で断絶の時、一族で只一人特にお家存続を許され幕末の頃まで栄えた。この稲荷神社は左京の守護神であり、今日に至まで一族繁栄を願う数多くの人々から崇敬されている。 |
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