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念願の出雲大社!
パワーをいただきました。
出雲大社はいわゆる神話における国譲りの事情のもとで創建された神社である。867年(貞観9年)には正二位に叙せられ熊野大社とは別に出雲国一宮と称せられるようになった。中世には12郷7浦を領したが、豊臣秀吉により減じられ5郷2浦となった。1871年(明治4年)に官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。
・創建
出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った(『古事記』)。
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた(『日本書紀』)。
所造天下大神(=大国主神)の宮を奉るため、皇神らが集って宮を築いた(『出雲国風土記』出雲郡杵築郷)。
神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の宮として造れ」と述べた(『出雲国風土記』楯縫郡)。
垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であった。占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた(『古事記』)。
斉明天皇5年(659年)、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた(『日本書紀』)。
以上のように、伝承の内容や大社の呼び名は様々である。共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。
※ウィキペディア引用
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稲佐の浜弁天島にてお賽銭を入れることができて喜びながらお伺いしました。
道中から雨脚が強まりまして、手水舎にたどり着く頃にはバケツをひっくり返したような大雨に(・_・;)
モンベルの撥水パーカーを身に着けていましたが効果なくずぶ濡れになりました(笑)
龍蛇神様が普段稲佐の浜弁天島にて喜んでいた分、勢いよく出雲大社に来られたんでしょうか。財布もスマホもずぶ濡れで唯一腰から下げていた伊勢神宮のお守りだけ無事でした。
スマホのカメラレンズがびしょ濡れでうまいこと写真が撮れていないので、真っ暗でもありますし写真少なめになります(・_・;)
ただ、豪雨のおかげで人は本当に少なく、普段でしたら八足門前は人が途切れることないんですが、この時は自分を合わせて三人のみ。参拝の際も人の声が一切なくて雨音の中八足門前でゆっくり参拝させていただきました。
これもタイミングといいますか、何かの御縁かもしれませんね。
貴重なお時間をありがとうございます。
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