こうおんじ|浄土宗|慈眼山
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大阪の南河内&泉南の寺院巡りの4ヶ所目は、先の富田林市から西へ向かい、泉南地区の貝塚市に在る慈眼山 孝恩寺です。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来。
こちら所蔵の20躯以上の仏像は文化財に指定されており、収蔵庫に安置されています。収蔵庫はさながら博物館並み、いや、博物館以上です。また、釘無堂と呼ばれる観音堂は国宝です。
拝観は春期(3,4月)と秋期(10,11月)の土・日で完全予約制です。寺院のHPからの予約で、拝観料は1,000円です。
この投稿を見て、孝恩寺へ行ってみようなんて方はいらっしゃらないと思いますが、今年度の秋期の公開は、釘無堂1300年大祭の開催に伴い休止との事です。
ーーー後日アップします。
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聖武天皇は奈良の都を中心として近畿地方に49の立派な寺院を建てることを発願し、その建築の一切を僧行基ぎょうきに委嘱しました。 神亀3(726)年、その四十九院の一つとして当地に観音寺が創建され、創建当時は金堂や塔、多くの僧房等七堂伽藍しちどうがらんが立派にそびえていたと伝えられています。
ところが、室町時代には当地に所領を持つ山名氏や大内氏が乱を起こし、その後、豊臣秀吉が紀伊国の根来寺ねごろじ等を攻めた「紀州攻め」の戦場となり、境内の建物はすっかり焼かれてしまい、唯一鎌倉時代に再建された観音堂(釘無堂)くぎなしどうだけが残りました。
また、戦火の中、仏像だけは助けねばと付近の川や池に投じ置き、後に救い出された20躯の仏像群が堂中におさめられました。
孝恩寺は明暦元(1655)年に初代孝恩こうおん上人によって、観音寺の隣接地に創建された浄土宗寺院です。創建以来、木積村の檀那寺として、村人たちとともに荒廃する観音寺を守り続けてきました。
近代に入ると、明治22(1889)年に観音寺は廃寺となりましたが、大正3(1914)年に本寺が旧観音寺の観音堂を仏像群等とともに合併しました。
孝恩寺は、木積村の檀那寺としての務めを果たすとともに、歴史的な建築物である国宝の観音堂(本堂)と平安時代に制作された仏像群等を守り続けてきた歴史ある寺院です。
孝恩寺の情報
| 住所 | 大阪府貝塚市木積798 |
|---|---|
| 行き方 | 水間鉄道水間線 水間観音駅から水鉄バス「蕎原」行きで5分、「釘無堂」下車、徒歩すぐ |
孝恩寺の基本情報
| 名称 | 孝恩寺 |
|---|---|
| 読み方 | こうおんじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 072-446-2360 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://ko-onji.jp/ |
巡礼の詳細情報
| 和泉西国三十三箇所 第25番 | ご本尊・ご祭神:十一面観音 |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 慈眼山 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 726年(神亀3年) |
| 開山・開基 | 行基 |
| 文化財 | 観音堂(国宝)
|
| ご由緒 | 聖武天皇は奈良の都を中心として近畿地方に49の立派な寺院を建てることを発願し、その建築の一切を僧行基ぎょうきに委嘱しました。 神亀3(726)年、その四十九院の一つとして当地に観音寺が創建され、創建当時は金堂や塔、多くの僧房等七堂伽藍しちどうがらんが立派にそびえていたと伝えられています。
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