いかすりじんじゃ
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楽しみ方坐摩神社のお参りの記録一覧
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摂津国一之宮 坐摩神社にあがらせていただきました。
坐摩と書いて「いかすり」と読みます。
通称「ざまじんじゃ」と呼ばれるようで、私も最初はそのように読んでいました。
五柱の御祭神を総称して坐摩神(いかすりのかみ)とのことですが、坐摩の語源は「土地又は居住地を守り給う意味の居所知(いかしり)が転じたとの説があるそうです。
阪神高速1号環状線と阪神高速13号東大阪線が公差する街中に鎮座。
周辺には高層ビルも建ち並んでいますが、境内は意外にも静かでとても落ち着きます。
今回初めて参拝させていただきましたが、もっと早くお参りさせていただけば良かったと思いました。
<御祭神>
生井神
福井神
綱長井神
波比岐神
阿須波神
<御由緒>~坐摩神社御由緒略記より~
当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江の岸・田蓑島、のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。
平安時代の「延喜式」には攝津國西成郡の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また朱雀天皇の御代、天慶2年(939)以来祈雨11社中に列し、以後たびたび祈雨〔雨乞い〕のご祈請・奉幣に預かりました。
天正10年(1582)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。
現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の行宮(御旅所)が鎮座されています。
明治元年(1868)の明治天皇大阪行幸の際には当社に御親拝なされ、相撲を天覧されました。
昭和11年(1936)官幣中社に列せられた際に御造営された壮麗な御社殿は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のままに復興されたものです。

大阪の街中にありながら、一歩境内に入ると空気がすっと変わるような、静かで落ち着いた雰囲気を感じました。ビルに囲まれた場所とは思えないほど、穏やかで清らかな空間。都会の喧騒が遠のき、自然と心が整っていく感覚がありました。
坐摩神社は「いかすりさん」とも親しまれ、住居守護や旅行安全のご利益で知られています。日々の暮らしを守ってくださる神様に手を合わせると、普段当たり前に過ごしている時間のありがたさを改めて実感しました。
境内は決して大きくはありませんが、その分ひとつひとつを丁寧に感じられる場所。手水舎で身を清め、拝殿の前で静かに願い事を伝えるひとときは、とても穏やかで心温まる時間でした。
「またここに来たい」と自然に思える、そんな優しい神社でした。
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京都・大阪の寺社仏閣巡りの4ヶ所目は、3ヶ所目の本願寺津村別院と同じく大阪市中央区に在る坐摩神社です。「ざまじんじゃ」と思っていたら「いかすりじんじゃ」と読むのですね。(通称は「ざまじんじゃ」との事。)
摂津国一之宮。(こつこつと一之宮巡りしていますので。)
祭神は、生井神(イクイノカミ)、福井神(サクイノカミ)、綱長井神(ツナガイノカミ)、阿須波神(アスハノカミ)、波比岐神(ハヒキノカミ)。
5柱を総称して坐摩大神(イカスリノオオカミ)だそうです。
諸説あるらしいが、神功皇后が三韓征伐より帰還した際、淀川の大江の岸・田蓑島、後の渡辺(現在の石町)に坐摩神を奉祀したのが始まり。
1582年の豊臣秀吉の大坂城築城のために替地を命ぜられ、現在地に遷座した。(現在地の地名が渡辺なのは遷座する前の地名が移されたもの。)
尚、石町には行宮(御旅所)が在る。
鳥居の左側(南側)に6~7台停めれる駐車場がありますので停めさせて頂きました。鳥居は余り見掛けない「三ツ鳥居」。鳥居をくぐると左側に手水、右側にずらっと境内社、正面に拝殿です。中には七五三の参拝客がご祈祷中でした。
ビルの1階に社務所がありましたので御朱印を頂きました。(ビルは大阪府神社庁本部)
その奥には陶器神社、稲荷神社がありました。

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