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あかぎじんじゃ

赤城神社
群馬県 水沼駅

御朱印(1種類)

赤城神社の御朱印

300円
直書き

上部真ん中に赤城神社の印、右上に「上毛野國 赤城山頂」の印、左上に「延喜式内 名神大社」の印が押されています。
平安時代に編纂された『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載された神社を延喜式内社といい、赤城神社は名神大社として「上野国勢多郡 赤城神社」と記載されています。

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御朱印について御朱印
あり

右上に上毛野國赤城山頂の印が押された御朱印です。 赤城神社とゆかりのある十二単を着た赤城姫の御朱印…

限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり/70台

巡礼

その他の巡礼の情報

赤城神社本宮三社

赤城神社について

赤城山山頂に鎮座する奥宮


『延喜式内神名帳』に記載されている「赤城神社」の比定社で、関東中心に点在する赤城神社の総本山の一社であります。
噴火によってできたカルデラ湖、「大沼」の小島に鎮座していることから「大洞赤城神社」と呼ばれています。
古くから、女性の願掛け神社として崇敬されており、貴族の女性が描かれた授与品が多数あります。

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歴史

赤城神社は主祭神に赤城大明神・赤城山と湖の神様をお祀りし、古来人々の守護神として信仰されてまいりました。
清らかな頂きから流れる水は、生命に命を与え、田畑の稔りをもたらします。
また、勇壮なる山なみは力強さを、四季折々の景色は優しさと美しさをあらわし、その山容と景観、神秘的なたたずまいは、仰ぎ見る人々の心を捉えてまいりました。

その信仰は太古に遡り設立年代は不詳ですが、大同元年(806年)に小沼から見上げる神庫岳(その後の地蔵岳)の中腹より、大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております。
この年号に因み、この地を大洞と名付けたのです。
この時、小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております。

神仏習合気には、はば広い信仰を集め、神社の規模も大きく発展し御神域も赤城山全体におよぶほどになり、朝廷より御神位を賜り、承和六年(839年)にはじまり、元慶四年(880年)には赤城沼神として昇叙し、長元年間(十一世紀)には正一位に叙せられております。

江戸時代に至り、相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし、将軍家をはじめ諸大名の信仰厚く、三代将軍徳川家光公は寛永十九年に、社殿の再建を命じられました。
また、厩橋(前橋)城主は、自ら大祭に参列され、平和と安全を祈願されておりました。
厩橋城内をはじめ、各地に分社が勧請され、山開き例大祭には近隣の村々や、遠く、武蔵・安房・上総・常陸・越後の国々からも参詣者が訪れました。
赤城山登山口八か所に、鳥居が設けられ、これらは、近隣の村人によって奉納されたものです。
このうち、厩橋城主が登拝した参道の鳥居(前橋よりの登山口)を、一の鳥居と呼んだのです。
この頃、神祇伯白川家より「上野國総社大洞赤城神社」吉田家より「正一位赤城大神宮」の称号が贈られております。

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赤城神社の基本情報

住所

群馬県前橋市富士見町赤城山4-2

行き方

JR両毛線「前橋駅」から出ている赤城交通バス「あかぎ広場前」より徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称

赤城神社

読み方

あかぎじんじゃ

通称

大洞赤城神社、赤城大明神

参拝時間

社務所:09:00〜17:00

参拝にかかる時間

30分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

右上に上毛野國赤城山頂の印が押された御朱印です。
赤城神社とゆかりのある十二単を着た赤城姫の御朱印帳は、季節ごとに色を変えたものも。
女性の願掛け神社として有名な赤城神社らしいです。

限定御朱印あり
電話番号027-287-8202
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://akagijinja.jp/sp/
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巡礼の詳細情報

全国東照宮連合会

第9番

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 赤城大明神
 豊城入彦命
 磐筒男命
 磐筒女命
 経津主命
《配祀神》
 大山祇神
 徳川家康
《合祀神》
 月読命,素盞嗚尊,埴山姫命,豊受姫命,市杵島姫命,高龗命,建御名方命,大日孁貴尊,菅原道真,誉田別命,水分神,火産霊命,御穂須須美命,煩之大人命,迦具土命,弥都波能女命,大土命,大物主命,鎌倉権五郎景政,保食命,罔象女命,倉稲魂命,猿田彦命,大国主命,木花咲夜姫命,伊弉冊命,事解之男命,天照皇大神,速玉之男命,久那斗神,大雷命,柿本人丸,屋加須利神,大山咋命,
ご神体

赤城山

創建時代

不詳

本殿

切妻造

ご由緒

赤城神社は主祭神に赤城大明神・赤城山と湖の神様をお祀りし、古来人々の守護神として信仰されてまいりました。
清らかな頂きから流れる水は、生命に命を与え、田畑の稔りをもたらします。
また、勇壮なる山なみは力強さを、四季折々の景色は優しさと美しさをあらわし、その山容と景観、神秘的なたたずまいは、仰ぎ見る人々の心を捉えてまいりました。

その信仰は太古に遡り設立年代は不詳ですが、大同元年(806年)に小沼から見上げる神庫岳(その後の地蔵岳)の中腹より、大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております。
この年号に因み、この地を大洞と名付けたのです。
この時、小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております。

神仏習合気には、はば広い信仰を集め、神社の規模も大きく発展し御神域も赤城山全体におよぶほどになり、朝廷より御神位を賜り、承和六年(839年)にはじまり、元慶四年(880年)には赤城沼神として昇叙し、長元年間(十一世紀)には正一位に叙せられております。

江戸時代に至り、相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし、将軍家をはじめ諸大名の信仰厚く、三代将軍徳川家光公は寛永十九年に、社殿の再建を命じられました。
また、厩橋(前橋)城主は、自ら大祭に参列され、平和と安全を祈願されておりました。
厩橋城内をはじめ、各地に分社が勧請され、山開き例大祭には近隣の村々や、遠く、武蔵・安房・上総・常陸・越後の国々からも参詣者が訪れました。
赤城山登山口八か所に、鳥居が設けられ、これらは、近隣の村人によって奉納されたものです。
このうち、厩橋城主が登拝した参道の鳥居(前橋よりの登山口)を、一の鳥居と呼んだのです。
この頃、神祇伯白川家より「上野國総社大洞赤城神社」吉田家より「正一位赤城大神宮」の称号が贈られております。

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