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あかぎじんじゃ

赤城神社の御由緒・歴史
群馬県 水沼駅

ご祭神《主祭神》
 赤城大明神
 豊城入彦命
 磐筒男命
 磐筒女命
 経津主命
《配祀神》
 大山祇神
 徳川家康
《合祀神》
 月読命,素盞嗚尊,埴山姫命,豊受姫命,市杵島姫命,高龗命,建御名方命,大日孁貴尊,菅原道真,誉田別命,水分神,火産霊命,御穂須須美命,煩之大人命,迦具土命,弥都波能女命,大土命,大物主命,鎌倉権五郎景政,保食命,罔象女命,倉稲魂命,猿田彦命,大国主命,木花咲夜姫命,伊弉冊命,事解之男命,天照皇大神,速玉之男命,久那斗神,大雷命,柿本人丸,屋加須利神,大山咋命,
ご神体赤城山
創建時代不詳
ご由緒

赤城神社は主祭神に赤城大明神・赤城山と湖の神様をお祀りし、古来人々の守護神として信仰されてまいりました。
清らかな頂きから流れる水は、生命に命を与え、田畑の稔りをもたらします。
また、勇壮なる山なみは力強さを、四季折々の景色は優しさと美しさをあらわし、その山容と景観、神秘的なたたずまいは、仰ぎ見る人々の心を捉えてまいりました。

その信仰は太古に遡り設立年代は不詳ですが、大同元年(806年)に小沼から見上げる神庫岳(その後の地蔵岳)の中腹より、大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております。
この年号に因み、この地を大洞と名付けたのです。
この時、小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております。

神仏習合気には、はば広い信仰を集め、神社の規模も大きく発展し御神域も赤城山全体におよぶほどになり、朝廷より御神位を賜り、承和六年(839年)にはじまり、元慶四年(880年)には赤城沼神として昇叙し、長元年間(十一世紀)には正一位に叙せられております。

江戸時代に至り、相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし、将軍家をはじめ諸大名の信仰厚く、三代将軍徳川家光公は寛永十九年に、社殿の再建を命じられました。
また、厩橋(前橋)城主は、自ら大祭に参列され、平和と安全を祈願されておりました。
厩橋城内をはじめ、各地に分社が勧請され、山開き例大祭には近隣の村々や、遠く、武蔵・安房・上総・常陸・越後の国々からも参詣者が訪れました。
赤城山登山口八か所に、鳥居が設けられ、これらは、近隣の村人によって奉納されたものです。
このうち、厩橋城主が登拝した参道の鳥居(前橋よりの登山口)を、一の鳥居と呼んだのです。
この頃、神祇伯白川家より「上野國総社大洞赤城神社」吉田家より「正一位赤城大神宮」の称号が贈られております。

歴史
歴史[編集] 赤城山(祭祀対象) 赤城山頂中央の半島(小鳥ヶ島)に当社。湖左奥の建物のある地が大洞。右奥の山は地蔵岳(神庫山)。 創建[編集] 創建は不詳。社伝では、豊城入彦命が上毛野を支配することになった際に山と沼の霊を奉斎したという。その後、允恭天皇・用明天皇の時代に社殿を創設したと伝える。 創祀当初は神庫山(ほくらやま:後の地蔵岳)中腹に祀られていたというが、806年(大同元年)、大沼(おの)の南の畔(現在の大洞旧社地)に遷座し、小沼の畔には小沼宮(このぐう:後の豊受神社)が建てられた[1]。その際の年号に因んで神社周辺は「大洞(だいどう)」と呼ばれるようになったといい、通称とし...Wikipediaで続きを読む
引用元情報赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%89%8D%E6%A9%8B%E5%B8%82%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%A6%8B%E7%94%BA%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E5%B1%B1%29&oldid=100074963

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