ちょうえんじ|曹洞宗|万燈山
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駐車場 | あり。広いです。 |
長圓寺について
かぎ万燈
お盆の行事で、万灯山の四面にスズミを108個かぎ状に連ね、8月14日夜一斉に点火する。
昔この山をはさんで浅井千坊と須美千坊の僧兵が戦い、多くの犠牲者が出たため、この人々を埋めて千人塚を作り、かぎ万燈を焚いてその霊を弔ったのが始まりと言われている。遠く知多沿岸、西三河一帯より見え、夕涼みかたがた見物する人が多く、火つきの善し悪しを見て豊作を占うと言われている。
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三河三十三観音霊場巡りの5寺目は、4寺目と同じく西尾市に在る第33番の萬燈山 長圓寺です。4寺目の法巌尼寺から北東へ約6km行った所に在ります。今回の最後となります。
曹洞宗で、本尊は聖観音菩薩、札所本尊は十一面観音。
深溝松平家の松平好景に仕えていた板倉好重が1561年に戦死した後、好重の次男の板倉勝重は出家して永安寺の僧であったため、家督は三男の板倉定重が継いだ。しかし、1581年に定重が戦死してしまい、板倉家が断絶するのは忍びないと徳川家康が勝重に還俗を命じ武士となり、関ヶ原の戦いの後の1601年に京都所司代に任命した。1603年に勝重が父の好重の菩提を弔うため、仙麟和尚を開基とし、永安寺を長圓寺と改めて中興し、板倉一門の菩提寺とした。勝重の子の重宗は勝重の七回忌の1630年に現在地へ移し七堂伽藍を整えた。(元の永安寺の詳しい事はわかっていない。)
観光バスも停めれる広い駐車場があります。
山門をくぐると参道は右へ90度曲がり、見上げると本堂があります。石段を上がると右側に鐘楼、左側に手水。正面の本堂は結構な大きさです。本堂の戸を開けて入らせて頂きました。土間があって、右上に梵鐘と太鼓です。三河地区の寺院に多いですね。左側には地蔵菩薩と厨子の中に観音像。この観音像が札所本尊の十一面観音?(お寺の方がいらっしゃらなかったので未確認)
真ん中に賽銭箱があり、その奥に須弥壇で本尊の聖観音菩薩。三尊形式みたいで脇侍はよくわかりませんでした。右側の脇間には布袋尊(三河七福神霊場)。
セルフ用朱印が置いてありましたのでセルフで押印しました。
また、本堂の手前の左側に上がる道があり、上がって行くと板倉勝重の霊廟である肖影堂があります。堂内には県指定文化財の板倉勝重坐像が安置されていますが、堂内には入れませんので観れませんでした。
これで三河三十三観音霊場を全て巡礼しました(満願または結願)。番外4寺を合わせて計37寺を巡るのに2.5日でした。
よくよく考えたら、過去に尾張三十三観音霊場と美濃三十三観音霊場と豊川稲荷に参拝済みで、今回、三河三十三観音霊場を全て参拝しましたので、「東海百観音」を結願した事になりますね。
御朱印
山門
手水
鐘楼
本堂
梵鐘と太鼓
札所本尊·十一面観音?
本尊·聖観音菩薩
布袋尊
肖影堂(板倉勝重の霊廟)
名称 | 長圓寺 |
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読み方 | ちょうえんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0563-52-1002 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
三河三十三観音霊場 第33番 | 御本尊:十一面観音 |
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三河七福神 第3番 | 御本尊:布袋尊 御真言: おんまいたれいやそわか 御詠歌: 子のなきはまいりてたのめむかしより こさづけ尊と名もたかきてら |
詳細情報
ご本尊 | 十一面観音 |
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山号 | 万燈山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 寛永7年(1630) |
ご由緒 | 大名板倉家の菩提寺。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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