(ひがしほんがんじ)てんまべついん|真宗大谷派
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
大阪府のおすすめ🍁
おすすめの投稿
本願寺舊跡
真宗大谷派 天満別院
オフィス街を抜けると大きな文字で
「真宗大谷派 天満別院」の
金色の文字が見えてきます。
大阪♡。
北側には大きな敷地の墓地があります。
本堂前に来ると、柔らかく近代的な御料本堂が見えてきます。近代的都市の雰囲気です。
御本堂が開いていたので、中に入りおまいりさせて頂きました。
本堂外側正面には 東本願寺二十二世現如上人
ご染筆による「六字城」の扁額があります。
また本堂前の御由緒書きによると、
本堂は平成十二年に再建されたそうです。
天満別院の開創は教如上人ですが、
その教如上人に従って信任の厚かった
仏照寺祐恵がご尽力され、
また子孫も十一代にわたり受け継いで、
大阪の整備と発展に貢献されたので、
近年まで天満別院を親しみを込めて
「仏照寺さん」と呼んでいたそうです。
石山本願寺で織田信長と講和した後、紀伊国鷺ノ森、和泉国貝塚本願寺と移り行き、こちら天満の地に。当時は川崎本願寺(または中島本願寺)と呼ばれ七年の間、寺内町を形成していたそうです。
天満別院はその流れを組み伝統を受け継いだと考えられています。
天満本願寺は当時、天満別院近くの造幣局付近から滝川公園にあったそうです。
近くには天神祭の大阪天満宮や、
2006年に61年ぶりに上方落語の定席として
復活した「繁昌亭」などがあります。
(大阪天満宮は後日記録させて頂きます。)
大阪は水の都。お寺あり橋あり、
笑いありおいしい食あり人情あり。
などと暢気なことを考えていたら、
画像なくなっちゃうし。
太融寺で、一お参りに一御朱印。
またお参りして下さいと言われました。
毎度って言わんかったからやろか。
太融寺もこの後記録させて頂きます。
毎度おおきに。
失ったものを数える人あり
与えられるものに感謝する人あり
真宗大谷派 天満別院
大阪市北区東天満1-8-26
名称 | (東本願寺)天満別院 |
---|---|
読み方 | (ひがしほんがんじ)てんまべついん |
通称 | 佛照寺さん |
電話番号 | 06-6351-3535 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.tenma-betsuin.jp |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
---|---|
宗旨・宗派 | 真宗大谷派 |
創建時代 | 1601年(慶長6年) |
開山・開基 | 教如上人 |
Wikipediaからの引用
概要 | 天満別院(てんまべついん)は、大阪府大阪市北区東天満に位置する真宗大谷派の寺院である。東本願寺の別院。本尊は阿弥陀如来。「佛照寺さん」の愛称で親しまれている。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 1601年(慶長6年)に真宗大谷派の第12代門主である教如上人によって現在の天満別院が現在地に開基された。教如上人に従って信任の厚かった佛照寺祐恵にちなんで「佛照寺さん」の愛称で親しまれている。1608年(慶長13年)に現在地に移設[1][2]。 1909年(明治42年)に発生した北の大火では、出火元に近かったものの焼失はまのがれたため、救護所として本堂を解放していた[1]。また1910年(明治43年)に親鸞聖人の650回御遠忌の最、第22世である現如上人の御染筆による「六字城」の額が本堂正面に揚げられた[1]。 ^ a b c “由緒と沿革”. 天満別院. 202...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR「大阪天満宮駅」より徒歩で約3分。 |
引用元情報 | 「真宗大谷派天満別院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%88%A5%E9%99%A2&oldid=101511484 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
大阪府のおすすめ🍁
(東本願寺)天満別院に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
8
0