りゅうこうじ|日蓮宗|寂光山(じゃくこうさん)
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龍口寺について
日蓮聖人の四大法難の1つ「龍口法難」の舞台となったかつての鎌倉幕府の刑場の跡に建てられた日蓮宗の霊跡寺院。
江の島電鉄江ノ島駅の前にあり江戸時代建立の大本堂や神奈川県唯一の木像五重塔が見られます。
大本堂内は撮影禁止。
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藤沢市片瀬にあり、龍ノ口法難で知られる日蓮宗の霊跡本山の一つになります。
龍口寺の鎮まる龍口山は、江ノ島弁財天の霊威に降伏した五頭龍神がこの地を護ることを誓い、その姿を山に変えたと伝えられています。その龍の口元に当たる場所が今の龍ノ口で、『龍の眠る聖地』としても知られています。

江島神社✕龍口寺共同企画:特別御朱印「天女と龍」





本堂



七面堂


仏舎利塔

仏舎利塔からの江ノ島付近の眺望。

以前は富士山も見えたのですが、今は木に覆われて見ることができません。




五重塔

鐘楼と日蓮聖人像

妙見堂

23.02.21。先の法源寺さんより徒歩4分。藤沢市片瀬3丁目にある日蓮宗の寺院。
寺 格 霊跡本山
山 号 寂光山
創 建 延元2年(1337年)
開 基 日法聖人
本 尊 三宝尊
札所等 藤沢七福神 毘沙門天
日蓮聖人(1222〜1282)がご入滅された後、直弟子の日法聖人が、延元2年「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが、寂光山龍口寺の始まりです。
日蓮聖人の四大法難(松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口)の中でも、屈指の霊跡とされる龍口寺は、篤信者であった島村采女が慶長6年(1601)に土地を寄進され、諸堂・境内地が整いました。
〜日蓮宗のWebサイトより〜
龍口寺輪番8ヶ寺巡りをしている途上に肝心の元となる当山を参詣で御首題を拝受しました。

御首題

門前

仁王門
昭和48年(1973年)建立。


仁王尊像(阿形)

(吽形)

仁王門内の天井画
↓



山門
元治元年(1864年)建立。






参道

右:妙見堂 妙見大菩薩を安置。
左:寂光殿 納骨位牌堂。

お水屋
↓


大本堂
天保3年(1832年)建立。



日蓮聖人像と白梅

鐘楼堂
昭和44年(1969年)に龍口法難750年を記念し、大本山中山法華経寺から移築された。

延寿の鐘
700貫(2.6t)

紅梅

大書院
昭和10年(1935年)に信濃国松代藩の藩邸を移築したもの。

五重塔
明治43年(1910年)建立。
神奈川県唯一の本式木造五重塔。

七面堂
↓



仏舎利塔
昭和45年(1970年)建立。

経八稲荷堂
↓


龍口刑場跡
文永8年(1271年)9月12日に日蓮が斬首されそうになった龍口法難の霊跡。



購入した御首題帳(2000円)
御首題専用として持参のラベルにタイトルを記載いただきました。
授与品
授与品をもっと見る|歴史
鎌倉時代後期、日蓮聖人は『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)を著し、法華経の教えに従うことで国家の安寧と民衆の救済を実現しようと説きました。この活動に危機感を抱いた幕府は、日蓮聖人を龍ノ口で処刑しようとしました。しかし、「江ノ島の方角から満月のような光が飛び来たる」※ という出来事が起こり、斬首を命じられた役人たちは恐れおののき、その場にひれ伏したと伝えられています。 龍ノ口刑場で処刑中止となったのは、日蓮聖人ただ一人。こうした奇跡の出来事を経て、この地が尊い霊場として広く知られるようになりました。
その後、1337年に日蓮聖人の直弟子である日法聖人がこの地に堂を建立し、日蓮聖人像や「首の座」とされる敷皮石を安置したことが、龍口寺の始まりです。
かつては住職を置かず、輪番八ヶ寺といって、近隣8つの寺院が順に龍口寺を守っていましたが、現在は日蓮聖人・四大法難(松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口)の一つ、「龍口法難」にまつわる屈指の霊跡として、貫首を中心に日々仏道修行に勤め、今日まで法灯を継いでいます。
(龍口寺公式HPから引用)
| 名称 | 龍口寺 |
|---|---|
| 読み方 | りゅうこうじ |
| 通称 | 片瀬のお祖師様 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0466-25-7357 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://www.ryukouji.com/ |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
巡礼の詳細情報
| 藤沢七福神 第7番 | 仏さま:毘沙門天 |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 宗祖日蓮聖人大曼荼羅 |
|---|---|
| 山号 | 寂光山(じゃくこうさん) |
| 宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
| 創建時代 | 1337年(南朝:延元2年 北朝:建武4年) |
| 開山・開基 | 日法 |
| 本堂 | 欅造り銅版葺 |
| 文化財 | 大本堂(藤沢市指定有形文化財)
|
| ご由緒 | 鎌倉時代後期、日蓮聖人は『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)を著し、法華経の教えに従うことで国家の安寧と民衆の救済を実現しようと説きました。この活動に危機感を抱いた幕府は、日蓮聖人を龍ノ口で処刑しようとしました。しかし、「江ノ島の方角から満月のような光が飛び来たる」※ という出来事が起こり、斬首を命じられた役人たちは恐れおののき、その場にひれ伏したと伝えられています。 龍ノ口刑場で処刑中止となったのは、日蓮聖人ただ一人。こうした奇跡の出来事を経て、この地が尊い霊場として広く知られるようになりました。 その後、1337年に日蓮聖人の直弟子である日法聖人がこの地に堂を建立し、日蓮聖人像や「首の座」とされる敷皮石を安置したことが、龍口寺の始まりです。 かつては住職を置かず、輪番八ヶ寺といって、近隣8つの寺院が順に龍口寺を守っていましたが、現在は日蓮聖人・四大法難(松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口)の一つ、「龍口法難」にまつわる屈指の霊跡として、貫首を中心に日々仏道修行に勤め、今日まで法灯を継いでいます。
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| 体験 | おみくじ絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り除夜の鐘伝説 |
| 供養 | 一般墓永代供養墓樹木葬 |
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