えんのうじ|臨済宗建長寺派|新居山
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神奈川県 鎌倉市 山ノ内に境内を構える、新居山 円応寺(えんのうじ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に鎌倉十三仏霊場巡礼にて参拝致しました、別称は 新居閻魔堂、十王堂で呼ばれる、類を見ない閻魔大王を本尊とするお寺、寺院対応も窓口が在り親切、スムーズです、隣棟には休める寺カフェが在ります、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 新居山、寺号は 圓應寺 (円応寺)、宗旨 宗派は 臨済宗 建長寺派、ご本尊は 閻魔王 (閻魔大王)
鎌倉十三仏 第五番札所(地蔵菩薩)鎌倉地蔵尊霊場 第八番札所、開山は 桑田道海(智覚禅師)とも伝えるが未詳、円応寺は、建長二年(1250年)に造られた 閻魔大王を本尊とするお寺です。建長寺開山大覚禅師の弟子であり、建長寺第九世の知覚禅師が開山(最初の住職)です。閻魔堂、十王堂とも呼ばれ、亡者が冥界において出合う「十王」を祀っています。
円応寺は 初め見越嶽(大仏様の近く)にありましたが、鎌倉幕府 滅亡後 足利尊氏が由比ヶ浜に移築しその後、江戸時代の 元禄十六年(1703年)に起きた 大地震後に 現在の地に移りました。
本尊の 閻魔大王座像(国重要文化財)は、仏師「運慶」作と伝わります。運慶は頓死をして閻魔大王の前に引き出されましたが、閻魔様の 「汝は生前の慳貪心(物惜しみし、欲深いこと)の罪により、地獄に落ちるべきところであるが、もし汝が我が姿を彫像し、その像を見た人々 が悪行を成さず、善縁に趣くのであれば、汝を裟婆に戻してやろう。」といわれ、現世に生き返された運慶が彫刻したと言われています。運慶は生き返った事を喜び、笑いながら彫像したため閻魔様のお顔も笑っているように見えることから、古来「笑い閻魔」と呼ばれています。 又、山賊から守る為赤ちゃんを飲み込んだ事から「子喰い閻魔」その後その赤ちゃんが無事に成長出来た為「子育て閻魔」と呼ばれています。
お釈迦様は死後の世界は説きませんでした。しかし「死」という事実は仏教の出発点でもあります。死への恐怖があるかぎり平安な人生は 送れません。仏教において死への恐怖を解決し、充実した人生を送るために「十王」は存在します。
十王とは、亡者が冥界において出合う十人の王のことです。亡者は冥界において七日ごとに七回、さらに百ヶ日、一周忌、三回忌の合計十 回、それぞれの王の取り調べを受けます

圓應寺参拝🙏
鎌倉の鶴岡八幡宮から北鎌倉駅に向かって歩いて移動、まずは閻魔様のお寺圓應寺へ
閻魔大王と十王が祀られています。
お参り中は誰もおらず、独占状態で閻魔大王に懺悔文を唱えて来ました🙏

運慶作と言われる閻魔大王像

本尊の閻魔大王座像(国重要文化財)は、仏師「運慶」作と伝わります。運慶は頓死をして閻魔大王の前に引き出されましたが、閻魔様の 「汝は生前の慳貪心(物惜しみし、欲深いこと)の罪により、地獄に落ちるべきところであるが、もし汝が我が姿を彫像し、その像を見た人々 が悪行を成さず、善縁に趣くのであれば、汝を裟婆に戻してやろう。」といわれ、現世に生き返された運慶が彫刻したと言われています。運慶は生き返った事を喜び、笑いながら彫像したため閻魔様のお顔も笑っているように見えることから、古来「笑い閻魔」と呼ばれています。 又、山賊から守る為赤ちゃんを飲み込んだ事から「子喰い閻魔」その後その赤ちゃんが無事に成長出来た為「子育て閻魔」と呼ばれています。

24.06.17。先の禅居院より徒歩3分。臨済宗建長寺派の大本山建長寺の境外塔頭寺院。
《閻魔様の寺》
山号 新居山
創建 建長2年(1250年)
開山 智覚禅師
本尊 閻魔大王坐像
札所 鎌倉二十四地蔵尊霊場
第八番
鎌倉十三佛霊場第五番
【縁起】〜当寺リーフレットより
当寺は初め見越の獄(みこつのごく/大仏様の近く)にありましが、足利尊氏が由比ヶ浜に移築し、その後、元禄16年(1703)に起きた大地震後に現在地に移りました。
本尊の閻魔大王坐像は、仏師「運慶」作と伝わります。(後略)
以前に2回程参詣しておりますが、本日は切り絵の素晴らしい御朱印があるとの情報を得てたので、立ち寄りました。迫力ある閻魔様の御朱印(1500円)を拝受できました。


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