まんぷくじ|真言宗大覚寺派|龍護山 < 龍護山 医王院 満福寺 >
満福寺神奈川県 腰越駅
9:00〜17:00
鎌倉市腰越にある真言宗大覚寺派のお寺。
兄源頼朝の怒りを買い鎌倉入りを拒まれた源義経が家臣の弁慶に書かせた頼朝に許しを求めた腰越状が書かれたのがこのお寺です。しかし頼朝の許しもなく勝手に朝廷から官位を貰ったことも書かれていた為更に怒りを買いその後両者の対立が決定的になった場所でもあります。
境内には義経と弁慶ゆかりの史跡がいくつもあり歴史好きや義経ファンなら喜ぶこと間違いなしです。特に義経と腰越状を書く弁慶の像は腰越状の文字まで彫られていて面白いです。
御朱印は薬師如来、千手観音、弘法大師の3種類を頂けます。
お寺の前に江ノ電の線路があり電車からお寺を観ることも出来ます。
福満寺
山門
本堂
源義経公慰霊碑
弁慶の手玉石
山門前からの景色
境内
お寺近くのRAJAHCOFFEEさんで朝ご飯
シラストーストのモーニング
江ノ電
義経公手洗の井戸
本堂内
鐘楼
慈悲観音
硯の池
義経腰越状旧跡
六地蔵
手水
のぼり
硯の池のお稲荷様
猫
絵馬
二宮金次郎像
笛供養
弁慶の腰掛石
由緒書
義経腰越状像
義経腰越状像
源義経が腰越状を書いたといわれる満福寺にて御朱印を頂きました。
満福寺の入口は江ノ電の踏切を越えます。
満福寺は真言宗大覚寺派のお寺でご本尊は薬師如来です。
中に入り参拝することができます。
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御朱印
由緒書その1
由緒書その2
入口。江ノ電の踏切を渡ります。
山門
本堂
鐘楼
水子地蔵
奈良時代、関東に悪い病気が流行していたとき、
聖武天皇にこの病気を排除するよう命ぜられた行基が、鎌倉へきて、
前に広がった海原と後ろの山並みがとても美しいこの場所で祈りをささげると
不思議に病気がおさまったといわれ、
功徳をたたえてここに寺を建てることにしたといわれる。
.
また、1185年(元暦2)に平家を滅ぼし凱旋した源義経は、頼朝の命令にそむいたとの理由で鎌倉入りを拒まれ、
頼朝の怒りを解くことに努めたが許されず、逆に追われる身となったといわれる。
名称 | 満福寺 |
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読み方 | まんぷくじ |
参拝時間 | 9:00〜17:00 |
参拝料 | 境内:無料(志納) / 本堂展示室拝観料:大人200円、中学生100円、小学生以下無料 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0467-31-3612 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.manpuku-ji.net |
絵馬 | あり |
ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 龍護山 < 龍護山 医王院 満福寺 > |
院号 | 医王院 |
宗旨・宗派 | 真言宗大覚寺派 |
創建時代 | 天平16年(744年) |
開山・開基 | 開山:行基 |
文化財 | 腰越状の下書き |
ご由緒 | 奈良時代、関東に悪い病気が流行していたとき、
|
体験 | 御朱印お守り武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 満福寺(まんぷくじ)は、神奈川県鎌倉市腰越にある真言宗大覚寺派の寺院。江ノ島電鉄の腰越駅を降りて海岸側に約250メートル行き、踏切を渡った所にある。 |
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歴史 | 歴史[編集] 天平16年(744年)に行基が開山したとされている。 元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる[1]。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。 ^ 新編鎌倉志 1915, p. 112. |
引用元情報 | 「満福寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%BA%80%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=95731123 |
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