ほうかいじ|天台宗|金龍山(きんりゅうざん)
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鶴岡八幡宮の次に宝戒寺を参拝しました。 今回の参拝で鎌倉六阿弥陀(5番)の御朱印を対応して頂きました。
宝戒寺さんは、静かな落ち着いた雰囲気のお寺で本堂に上げて頂き、正面の御本尊『子育経読地蔵大菩薩』・・鎌倉二十四地蔵尊と右側に、閻魔大王様、左側に毘沙門天・・鎌倉七福神などを間近で拝観できる贅沢な空間のお寺です。
今回頂いた御朱印の阿弥陀如来は、聖天堂内にあるとの事です。
山 号・・金龍山
院 号・・釈満院
寺 号・・円頓宝戒寺
宗 派・・天台宗
御本尊・・地蔵菩薩
創 建・・建武2年(伝 1335年)
開 山・・円観
開 基・・伝 後醍醐天皇
別 名・・萩の寺
札 所・・鎌倉二十四地蔵尊霊場(1番)
鎌倉三十三観音霊場(2番)
鎌倉江の島七福神(毘沙門天)
鎌倉六阿弥陀(5番)
弘法大師・相模二十一カ所霊場(1番)




24.12.04。先の荏柄天神社より徒歩12分。鎌倉市小町3丁目にある天台宗の寺院。
金龍山 釈迦院 円頓宝戒寺
【宝戒寺について】〜HPより
当山は1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため、後醍醐天皇の命をうけた足利尊氏公によって、当時小町邸と呼ばれ北条氏歴代執権屋敷跡であるこの地に建立されました。
また、戒壇院が置かれ国宝的人材を養成する道場として位置付られていました。
古都鎌倉の紅葉🍁巡り⑥
過去には鎌倉・三十三観音/二十四地蔵尊/六阿弥陀各霊場、鎌倉江の島七福神として参詣。今回は鎌倉大聖天として参詣しました。鶴岡八幡宮のすぐ近くですが、こちらは人も少なくゆっくり出来るお寺様です。(拝観料300円要)


神奈川県 鎌倉市 小町 に境内を構える、宝戒寺(ほうかいじ)正式名称は 金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ) 萩の寺として有名、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024 に鎌倉三十三ヶ所観音霊場 鎌倉 江の島七福神にて参拝致しました、歴史を感じる堂宇 建築物、境内、寺院対応も慣れた対応でスムーズでした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は金龍山(金竜山)院号は釋滿院(釈満院)宗旨 宗派は天台宗、ご本尊は地蔵菩薩、鎌倉三十三ヶ所観音霊場 第二番札所 准胝観世音菩薩、鎌倉 江の島七福神(毘沙門天)鎌倉地蔵尊霊場 第一番札所、寺域は北条義時以来の歴代の北条得宗家の屋敷北條執権邸地跡と伝える。
得宗家9代目当主で鎌倉幕府元執権(第14代)の北条高時は、元弘3年5月22日(1333年7月4日)、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺で自害、一族郎党870余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡した。宝戒寺蔵の建武2年3月28日(同1335年4月22日)付の足利尊氏寄進状に、同寺は「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山としてこの寺を造営しようとしていたことは事実と思われる。しかし、実際の造営は、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、同天皇が没した後に足利尊氏らによって行なわれたと推定されている。
建武2年寄進状から17年後の1352年(観応3年)に作成された足利尊氏寄進状案には、宝戒寺の造営料として上総国武射郡小松村(現千葉県山武市)と、出羽国小田島庄(現山形県東北部)の土地を寄進するとあり、この頃ようやく宝戒寺の造営が本格化したことがわかる。「惟賢灌頂授与記」という文書によると、2世住持の惟賢によって灌頂が宝戒寺で初めて行われたのが1354年(文和3年)であり、この頃にようやく寺観が整ったものと思われる
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