てんとくじ|曹洞宗|萬種山
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25.06.12。天徳寺境内に鎮座の与一堂。別名は真田与一廟とも言われ真田尊と呼ばれて来ました。天徳寺の鎮守社のようではあり、神社orお寺の括りにするか迷いましたが、ネット情報で与一堂とありましたので「天徳寺与一堂」でページ作成したつもりですが上手く行ってなく、「天徳寺」での掲載になった次第です?
本日の地元平塚市内ウォーキング参詣⑥最後
天徳寺の広い境内の一番手前左側にあり、石造物等の見所があり歴史の一端を垣間見られます。

神輿堂






手水鉢

読めませんでした。


与一堂


堂前の案内碑
白山堂とあります。こちらが現在の正式名称なのかも知れません?

与一堂前より天徳寺本堂の眺望

紫陽花

天徳寺鐘楼

鐘楼前よりの眺望
遠方の山は伊勢原市の大山です。

石祠
右は弁財天のようです。

石仏群

如意輪観音菩薩
天明8年(1788)銘

地蔵菩薩

奉納塔「地形助力連名単」
与一堂を建てるときに協力した近在の人々400名の名前を刻んだものです。
元治元年(1864)造立

護摩壇
8月23日の与一堂大祭で住職が経を唱えながら護摩を焚く壇。

「梵網菩薩戒経千部真読塔」
菩薩の心が展開してゆく姿や戒律を説いた経を省略なしに千部読んだ塔とのことです。
明治10年(1877)造立。

真田公力石


案内板



笠付庚申塔
寛文9年(1669)造立。

県道沿いよりの入り口
高い石垣が往時の城址を偲ばせます。

25.06.12。先の真田神社より徒歩4分。同じく平塚市真田1丁目の住宅街にある曹洞宗の寺院。
山号 萬種山
創建 天正年間(1573〜92)
開山 不詳
本尊 釈迦牟尼仏像
【縁起】〜境内掲示板より〜
眞田城址と天徳寺の由来
眞田與一義忠公は、三浦義継の四男岡崎城主、岡崎四郎義実の嫡子であり、その居城が眞田城である。治承4年(1180)8月20日夜、源頼朝の伊豆挙兵の折り、石橋山にて俣野五郎の家臣長尾新五・新六の為に討ち死に。25才であった。一説に義忠公このとき、痰が咽に詰まり討たれたことにより、喘息・痰咳の神(眞田明神)として崇めらている。
後、天正年間、岐阜天徳寺7世義翁盛訓禅師 義忠の菩提を弔うため天徳寺を造立する。
本日の地元平塚市内ウォーキング参詣⑤
県道沿いの住宅街に広い敷地を持つお寺さんです。昭和年代末より平成に至り境内整備を行われた模様でかなり新しく感じらました。
尚、境内には与一堂という眞田公を祀る廟所がありますが、単独ページとしてUPさせて頂きます。

小田急沿線武相観音第十九番
とありますが、当霊場は現在は機能していないようです。

門前

外塀が美しい
平成26年8月建立。


寺号標
昭和51年7月建立。

結果石
明和6年8月建立、平成27年再建。

参道

六地蔵
昭和51年8月再建。

子育地蔵尊

山門(平成門)



本堂






水子地蔵尊

真田学校跡の碑

墓地方向


金剛壽苑
平成六年11月吉辰
天徳三十二世護山雪保代
とあります。



十三重石塔と客殿
客殿玄関で書き置き御朱印を拝受しました。


境内・文化財
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| 名称 | 天徳寺 |
|---|---|
| 読み方 | てんとくじ |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0463-58-0228 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
|---|---|
| 山号 | 萬種山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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