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かやでら|浄土宗池中山(ちちゅうざん)

榧寺のお参りの記録一覧
東京都 蔵前駅

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きどっち
きどっち
2024年07月31日(水)1515投稿

浄土宗 池中山(ちちゅうざん) 盈満院(ようまんいん) 榧寺(かやでら)

先日投稿しました蔵前神社のすぐ北側に位置しています。
とても大きなお寺、というわけではないですが『榧寺』という名になんとなく惹かれて参拝させていただきました。
こちらも早朝だったため、御朱印はいただいておりません。

開山: 普光観智国師(増上寺中興)
本尊: 阿弥陀如来三尊

<縁起>浄土宗大辞典HPより
享禄から天正(一六世紀)の頃、念仏僧が隅田川の洲上に草庵を結び池中庵と名づけ、境内に榧の巨木があったことから榧寺と呼ばれていた。慶長四年(一五九九)源誉存応により浄土宗寺院として開山され、池中山盈満ようまん院正覚寺と号したが、太平洋戦争後、通称であった榧寺を正式名とした。国学者・石川雅望の墓のほか、浮世絵の石川豊信、窪俊満、勝川春亭、義太夫初代竹本綾之助を始めとする歌舞伎役者や力士、近世洋画家の巨星安井曽太郎の墓などがある。幕末には彰義隊の別隊である龍虎隊の屯所になって落語「蔵前駕籠」の題材となり、ボストン美術館所蔵の葛飾北斎版画には「榧寺の高灯籠」が描かれている。

榧寺の山門・神門

山門越しに見える本堂はモダンな建物です。

榧寺の本殿・本堂

本堂扉には大きな葵の紋
榧寺開山の観智国師は徳川家康公と深い関わりがあるようです。

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かおり
かおり
2023年08月26日(土)1801投稿

榧寺。ふりがなが振っていないと読めない。こんな恥ずかしい人間は私だけだろうか。
いいんだ。ネトウヨからすると私は日本人じゃないらしいから。

何故、榧寺なのか?
お寺の方に話をお聴きしたところ、大きな榧の樹があったことから来ているらしい。信徒会館は「かやのき会館」と名付けられている。

今から4百年程前、1575年頃、浅草より少し下流の隅田川のほとりに、樹齢1000年の榧の大木が立っていた。そこには小さな庵があり、一人の僧が毎日村人たちと念仏をしていた。
ある日山伏がやって来て、榧の実を賭けて碁の勝負を申し出た。榧寺の僧が負け、山伏は榧寺の榧の木の本体を、遠江(伊豆半島)の秋葉山に移してしまった。翌年から伊豆の秋葉山の榧の木は、たくさんの実をつけた。
山伏は榧寺にやってきて、彼は秋葉大権現という火の神だと告白し、榧の実のお礼に、このお寺を火事から守る約束をした。また、この地がやがて国の中心になるだろうと予言した。
予言通り、江戸幕府が開かれ、将軍家康公の葬儀を執り行った観智国師が第一世となり、浄土宗の立派な寺が建てられた。
享保年間(1716-1736)の火事では、榧の大木が焼け、その根で秋葉大権現像が作られた。
その後何度も江戸は大火事に見舞われたが、寺の門前で火は止まり、沢山の人々の命が助かった。
この縁起は文化11年(1814)榧寺の檀徒であった石川雅望(国学者、狂歌師としての宿屋飯盛、文章家として六樹園の号あり)の書いた縁起並に文政4年(1821)に栗原信充が描いた絵をもとにして記述したもの。
絵巻は今もなお殆んど破損することなく寺宝として残っている。北斎の木版の裏には、写楽の大童山の絵が彫られている。
モデルの大童山の墓は榧寺にある。(頂いたパンフレットより)

住所は蔵前だが、浅草にも近く、上野、浅草、蔵前と台東区は江戸幕府と共に発展したのだなと改めて思うのだ。

対応してくださったお寺の方は本当に感じが良かった。
飴舐め地蔵さまにお詣りしたからか、ひと月くらい続いていた喉の痛み、咳がなくなった。

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