浄土宗
榧寺のお参りの記録一覧
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Walking our way up to Senso-ji from Bakurocho station
榧寺。ふりがなが振っていないと読めない。こんな恥ずかしい人間は私だけだろうか。
いいんだ。ネトウヨからすると私は日本人じゃないらしいから。
何故、榧寺なのか?
お寺の方に話をお聴きしたところ、大きな榧の樹があったことから来ているらしい。信徒会館は「かやのき会館」と名付けられている。
今から4百年程前、1575年頃、浅草より少し下流の隅田川のほとりに、樹齢1000年の榧の大木が立っていた。そこには小さな庵があり、一人の僧が毎日村人たちと念仏をしていた。
ある日山伏がやって来て、榧の実を賭けて碁の勝負を申し出た。榧寺の僧が負け、山伏は榧寺の榧の木の本体を、遠江(伊豆半島)の秋葉山に移してしまった。翌年から伊豆の秋葉山の榧の木は、たくさんの実をつけた。
山伏は榧寺にやってきて、彼は秋葉大権現という火の神だと告白し、榧の実のお礼に、このお寺を火事から守る約束をした。また、この地がやがて国の中心になるだろうと予言した。
予言通り、江戸幕府が開かれ、将軍家康公の葬儀を執り行った観智国師が第一世となり、浄土宗の立派な寺が建てられた。
享保年間(1716-1736)の火事では、榧の大木が焼け、その根で秋葉大権現像が作られた。
その後何度も江戸は大火事に見舞われたが、寺の門前で火は止まり、沢山の人々の命が助かった。
この縁起は文化11年(1814)榧寺の檀徒であった石川雅望(国学者、狂歌師としての宿屋飯盛、文章家として六樹園の号あり)の書いた縁起並に文政4年(1821)に栗原信充が描いた絵をもとにして記述したもの。
絵巻は今もなお殆んど破損することなく寺宝として残っている。北斎の木版の裏には、写楽の大童山の絵が彫られている。
モデルの大童山の墓は榧寺にある。(頂いたパンフレットより)
住所は蔵前だが、浅草にも近く、上野、浅草、蔵前と台東区は江戸幕府と共に発展したのだなと改めて思うのだ。
対応してくださったお寺の方は本当に感じが良かった。
飴舐め地蔵さまにお詣りしたからか、ひと月くらい続いていた喉の痛み、咳がなくなった。
飴舐め地蔵。百日咳の平癒をお願い、お供えした飴を舐めると咳が癒えたと伝えられている。
厄除地蔵尊。高村光雲作。
徳川の葵の御紋が目立つ本堂。
浄土宗寺院。
湯島から錦糸町へバスで移動がてら目に留まり、蔵前で寄り道。
戦前までは正覚寺でしたが、戦後の改名しました。
ここには、かやの大木があり、開山以前に、樹齢が千年以上のかやの大木で僧
が念仏を唱える庵がありました。
また、ご本尊の阿弥陀三尊と共に秋葉大権現が祀ってあります。
榧の木が伊豆半島に移され、その御礼に参った山伏が火の神として幾たびの江戸の大火から守ったのも榧の木からできた権現様と云われています。
境内は小さな寺院ですが、きれいに行き届いておりました。
「お初地蔵」や「飴なめ地蔵」などの石仏群です。
厄除け地蔵
高村光雲の作です。
小さな庭園です。
言い伝えの「かや」はありません。
高燈籠。
葛飾北斎の浮世絵にも画かれています。
この浮世絵は現在アメリカにあるそうです。
本堂です。近代国家な建物ですが、古典落語の「蔵前駕籠」にもこの寺が出て来ます。
左手の寺務所にて御朱印をいただく事が出て来ます。
女性の方が多かったので、尼寺かと思います。
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