そうあんじ|浄土宗|弘誓山
宗安寺滋賀県 彦根駅
9時より17時
山門の右手から入って境内に駐車できます。
地元で「赤門」といえばこのお寺だとみんな分かるのですが、お参りしたのはこれが初めてでした。
中には貴重な古い仏像などが沢山あるほか、高級旅館のようないい雰囲気のお部屋があり、お庭も綺麗でした。もちろん本堂のなかも、とても大きな涅槃図があるなど素晴らしいものでした。
(御朱印第1185号)
直書き
赤門と言わないと、宗安寺では伝わらないかも。
ここからではよく見えないので、中に入って拝観がおすすめです。
拝観入口
🌼🌸宗安寺の参拝🙏後に商店街へ⁉️🌷『夢京橋キャッスルロード』は、滋賀県彦根市本町にある商業施設🎈キャッチコピーは街角ルネッサンス〜オールド・ニュータウン🎊
⭐️正式名称は夢京橋商店街🧸 隣接する四番町スクエアとともに彦根市の商店街では観光客をターゲットとしている数少ない商店街である🔆
⛩️宗安寺(そうあんじ)
京橋通りにある浄土宗の寺。佐和山城の正門を移築されたと伝えられています。大坂夏の陣で戦死した、豊臣家の忠臣として名高い木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)を偲んで、重成忌が行われます。
井伊道政の正室東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪(こうずけのくにみのわ)に建立された安国寺は、佐和山(232.5m)山麓へ移され、宗安寺と改名、その後彦根城築城のさい現在の地へ再度移転されました。元禄の大火で、「赤門(あかもん)」と呼ばれる朱塗りの佐和山城大手門を移築した表門が唯一焼け残り、現在の本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものです。
🔹本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の時、淀君の念持仏(ねんじぶつ)と思われる仏像を持ち帰ったもので、鎌倉時代の作といわれています。その他、墓所には木村重成の首塚、唐人門、鐘楼、白砂に巨石を配した庭園があります。
また、徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮国から来朝した朝鮮通信使節団高官の彦根での宿泊所であり、朝鮮王像が残されています。
🔸場所: ⛩️滋賀県彦根市本町2丁目3−7
🔸アクセス: JR琵琶湖線🚃 彦根駅下車 徒歩 20分
赤門と呼ばれる山門は、佐和山城の城門を移築(表門)
御朱印
本堂は、元禄14年(1701)の大火で焼失後、元禄15年(1702)に長浜城附属御殿を移築されたものと伝えられます
鐘楼
宗安寺鬼瓦
は納骨堂にもなっている夢観音さまがいらっしゃいました。
宗安寺庭園“彼岸白道の庭(おにわさん)
四番町スクエア(夢京橋キャッスルロード側からの入口)
四番町スクエア
ノスタルジックな人気ゾーンで、かつて「彦根の台所」として賑わった本町市場商店街を再現。大正洋風建築の建物とガス灯が立ち並ぶノスタルジックなムードの町並で、食事や買い物ができる。
正式名:弘誓山天白院宗安寺
滋賀県彦根市、彦根城下の中心にある浄土宗の寺で、彦根藩初代藩主・井伊直政の正室・東梅院が安国寺を再興したのが始まり。
もともとは箕輪城下(現・群馬県高崎市)にあった足利尊氏、足利直義開山の寺だったが、井伊直政とともに、高崎城下、佐和山城下、そして彦根城下へと移ってきた。
佐和山城下に移った際に、関ヶ原の合戦で西軍の将・安国寺恵瓊の名の安国寺を避け、開基である東梅院(井伊直政正室)の父・松平康親の戒名・無月宗九居士の「宗」と母の戒名・心誉理安大姉の「安」をとって「宗安寺」と改めた。
その後、二代藩主・井伊直孝の彦根城と彦根城下町の建設に伴い、大手町(現在の夢京橋キャッスルロード)に移されました。
道路に面した朱塗りの山門(通称赤門)は創建時に佐和山城(彦根城築城で破却)の城門を、そして本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したもの。
本尊・阿弥陀如来立像は大坂夏の陣の際、淀君の念持仏だったという伝承がある。
江戸時代には朝鮮通信使の宿となり、「李朝高官肖像画」がいまも伝わっている。
小堀遠州風の「白露の庭」も見どころである。
当寺は、井伊直政公の北ノ方松平周防守の息女東梅院殿のご帰依により、
上野国高崎城箕輪に建立せらる安国寺と公称し、成誉典應は開山となる。
慶長5年10月15日当地に移転をなし、宗安寺と改称、
しかるに元禄14年10月7日夜彦根大火により類焼を受け、本尊仏をはじめ
諸堂宇苑び附具などことごとく灰燼の厄にかかりしが、その翌年藩主の助成により、
長浜城(内藤豊前守信成公)の御殿を拝領し改造をなしたるが現存の建築物なり、
元禄15年(1702年)ことに本尊阿弥陀如来は、元和元年5月大阪夏の陣に
従軍せるところ内藤氏が持ち帰りたる豊臣淀君の礼拝せし霊仏なり(現地看板より)
住所 | 滋賀県彦根市本町2-3-7 |
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行き方 | JR西日本琵琶湖線『彦根駅』下車後徒歩で約20分
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名称 | 宗安寺 |
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読み方 | そうあんじ |
通称 | 赤門寺 |
参拝時間 | 9時より17時 |
参拝にかかる時間 | 20分強 |
参拝料 | 庭園拝観:200円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0749-22-0801 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.hikoneshi.com/sightseeing/article/soanji |
お守り | あり |
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 弘誓山 |
院号 | 天白院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 1590年(天正18年) |
開山・開基 | (開山)成誉典応・(開基)唐梅院(徳川家康養女) |
文化財 | 〈滋賀県指定有形文化財〉
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ご由緒 | 当寺は、井伊直政公の北ノ方松平周防守の息女東梅院殿のご帰依により、
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体験 | 御朱印武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
概要 | 宗安寺(そうあんじ)は、滋賀県彦根市にある浄土宗の寺院。山号は弘誓山。本尊は阿弥陀如来。 |
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歴史 | 歴史[編集] 当寺は、天正18年(1590年)に井伊直政が上野国の箕輪城主になった時[1]、正室・東梅院が父母の菩提を弔うために箕輪に建立した安国寺がその起源である[2]。慶長3年(1598年)に直政が高崎城主となると当寺は高崎に移転している。その後、関ヶ原の戦いで東軍が勝つと直政は佐和山城主となった。その際、当寺は高崎に残る安国寺と佐和山の山麓の古沢へ移される安国寺に分けられたのであるが、この時に古沢の安国寺は西軍の武将で京都の六条河原で処刑された安国寺恵瓊の名を避けて寺名を宗安寺と改名している[1]。 その後、井伊家の居城が新たに彦根山に彦根城として造られることとなると、当寺は新たな...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR東海道本線(琵琶湖線) 彦根駅より徒歩約20分。 |
引用元情報 | 「宗安寺 (彦根市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%97%E5%AE%89%E5%AF%BA%20%28%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%B8%82%29&oldid=102797260 |
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