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曹洞宗向嶽山

光明寺のお参りの記録一覧
埼玉県 大野原駅

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2026年03月17日(火)611投稿

埼玉県 秩父市 山田 に境内を構える、向嶽山 光明寺、2024 に日本百観音 秩父札所三十四巡礼にて参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を参拝してますが、秩父地方の方々の人柄の良さ 優しさ、食べ物 四季折々の景観 が素晴らしい地方でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 向嶽山、寺号は 光明寺、宗旨 宗派は 曹洞宗、ご本尊は 釈迦如来、秩父札所三十四観音霊場 第二番札所 大棚山 真福寺の本寺で、管理寺院、納経所を務めてます、光明寺は、鎌倉時代の1318(文保2)年に創建したという古刹です。
桓武平氏の始祖となった高望王の弟君である桓望王が大同二年(807)当地で逝去した邸跡に、王の冥福を祈った祈願所の光明庵から始まり、もとは西新木向殿(桓持神社の南側)にあった。当初は 真言宗の寺であったが、武蔵七党(武蔵国を中心に勢力を伸ばしていた武士団)のひとつ、丹党の関口丹後守が文保二年(1318)に 鎌倉 臨済宗 建長寺より法性国師物外を迎えて、寺を整備して光明寺と改称しました。
その後、南北両上杉の抗争に巻き込まれ秩父谷が疲弊したため光明寺も衰退しました。秩父丹党の加治新五郎は、永正十四年(1517)鎌倉 臨済宗 建長寺 五世・春澤香梅を迎えて中興し、天文元年(1532)寺域を現在地に移し、併せて丹党氏神である丹生明神社を寺の西側へ遷した。
その後、小田原北条、甲斐武田、越後上杉の抗争で、秩父谷が荒れ果て光明寺も衰弱した。
天正十五年(1587)3月3日郷党は、地元新木番匠屋荒船家の次男で越生竜が谷の龍穏寺 十五世住職となった朝谷是とん禅師を迎えて伝法開山とした。これより光明寺は、曹洞宗に改められ、現在に至る。
光明寺は、秩父谷随一の格式を持って寺で、末寺には、真福寺(二番札所)、常泉寺(三番札所)、金昌寺(四番札所)、福蔵寺、秀林寺の五寺があった。
寺は南面して武甲山と相対しているので、山号を向嶽山(こうがくさん)と称しています

光明寺の御朱印

秩父札所三十四観音霊場 第二番札所 大棚山 真福寺の本寺で、管理寺院、納経所を務めてます、

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惣一郎
惣一郎
2022年08月16日(火)1269投稿

【秩父三十四所観音霊場巡り(2+/34)】(過去の参拝記録)

光明寺(こうみょうじ)は、埼玉県秩父市山田にある曹洞宗の寺院。山号は向嶽山。本尊は釈迦牟尼仏。秩父三十四所観音霊場第2番・真福寺の納経所。

寺伝によると、平安時代初期の807年に桓武平氏の始祖・高望王の弟、恒望王が逝去した地に、王の冥福を祈る祈願所の光明庵にはじまる。はじめは真言宗系の寺院で、鎌倉時代末期の1318年に武蔵七党の一つ、丹党の関口丹後守が鎌倉の建長寺より法性国師物外を迎え伽藍を整備し光明寺と改称した。その後、南北両上杉の抗争で秩父谷が疲弊し当寺も衰微したが、1532年に秩父丹党の加治新五郎が鎌倉建長寺五世・春澤香梅を迎え中興、寺域を現在地に移し、丹党氏神である丹生明神社を西側に遷した。その後は戦国時代の抗争で再び衰微するも、1587年に朝谷是暾禅師を迎え伝法開山、曹洞宗に改められ現在に至っている。江戸時代の隆盛により、秩父谷随一の格式を持ち、末寺として真福寺(2番札所)、常泉寺(3番札所)、金昌寺(4番札所)ほか2寺を有していた。

当寺は、秩父鉄道・大野原駅の東南東2.0km、道のり3.1kmの、高篠山の西麓にある。2番札所・真福寺からは道のり2.3km。耕作地と住宅地が入り混じるエリアの外れにあって、山に抱かれた境内は広すぎず狭すぎず、植栽をはじめきれいにされている。大きな伽藍は本堂と寺務所のみ。秩父三十四観音霊場の納経所ではあるが札所ではないため、外観は新しい寺院のようにされている。

今回は、秩父三十四所観音霊場札所ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、あいにくぱらぱらと雨が降り始めていたが、自分と同様秩父巡りをしていると思しき参拝者を数人見掛けた。

※2番札所の真福寺から2番納経所の当寺までの道のりは、舗装が良くない細くて急でくねくねした山道なので、クルマで行く場合には道幅とコーナーに要注意。バイクの場合は、濡れ落ち葉による転倒に要注意。(^_^;)

光明寺の本殿・本堂

境内南端の入口。山門や寺号標はなく、壁や仕切りもないので、とても入りやすい雰囲気。

光明寺(埼玉県)

参道左側の<吽形仁王像>。青銅製かな。

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