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こうおんじ|高野山真言宗赤岩山

光恩寺
群馬県 篠塚駅

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あり
限定
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ありません
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巡礼

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⚫︎関東九十一薬師霊場
第四十番札所
⚫︎関東百八地蔵尊
第二十一番札所
⚫︎北関東三十六不動尊霊場
第十一番札所

光恩寺について

推古天皇代創建との伝承を持つ千代田町の古刹
境内は佐貫庄の歴史に深く関わる赤岩城跡

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2026年05月22日(金)1845投稿
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2026年04月09日(木)716投稿

群馬県 邑楽郡 千代田町 赤岩 に境内を構える、赤岩山 光恩寺、当方は 道の駅 全国制覇者で 全国の寺社、霊場を巡礼してます。群馬県の方々の人の良さなのか県民性の高さなのかは解りませんが、群馬の寺院、神社、道の駅等ムラなく素晴らしい対応で気持ちが良く、また行きたいと想いました、寺院対応も丁寧でした、2024.1に北関東不動尊霊場にて参拝致しました、国家試験女性医師第一号、荻野吟子の生家が隣接して在る寺院、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 赤岩山、寺号 院号は光恩寺、宗旨 宗派は 高野山 真言宗、ご本尊は 不動明王、関東九十一薬師霊場 第四十番札所、関東百八地蔵尊霊場 第二十一番札所、北関東三十六不動尊霊場 第十一番札所、赤岩不動尊、光恩寺の創建は雄略天皇が兄である穴穂皇子(安康天皇)のために建てられた全国九ヶ寺の一つとされます。その後一時衰退しますが弘仁5年(814)に真言宗の開祖弘法大師空海が再興、元亨元年(1321)には後醍醐天皇が兵火で焼失した堂宇を宇都宮氏に命じて再建し700石の寺領を寄進しています。江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安元年(1648)には徳川家光から寺領を安堵されています。何度か火災に見舞われ現在の本堂は明治5年(1872)に再建されたもので、長屋門、庫裏、客殿、石蔵が国登録有形文化財に指定されています。
光恩寺長屋門は江戸時代末期に造営され、明治20年(1887)に荻野吟子(他にも何人か女医は居ましたが、国家試験女性医師第一号)の生家の表門として移築されたもので、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、建築面積83㎡、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成11年(1999)に国登録有形文化財に登録されています。
光恩寺庫裏は江戸時代末期に豪農の主屋として造営され、明治20年代に移築されてきたもので、木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、妻入、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成11年(1999)に国登録有形文化財に登録されています。
光恩寺書院は明治時代後期に造営されたもので、木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、建築面積62㎡、平成11年(1999)に国登録有形文化財に登録されています。光恩寺石蔵は昭和8年(1933)頃に造営されたもので石造2階建て(大谷石採用)、切妻、桟瓦葺き、平入、建築面積40㎡、平成11年(1999)に国登録有形文化財に登録されています。
光恩寺は寺宝も多く鎌倉時代初期に制作された阿弥陀三尊像や文永8年(1271)に建立された地蔵画像板碑、元禄元年(1703)の銘がある梵鐘などを所有しています。光恩寺は関東屈指の真言宗の古刹として信仰を広めもなっています

光恩寺の御朱印

北関東三十六不動尊霊場 第十一番札所、赤岩不動尊

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歴史

開山は古く、寺伝によると雄略天皇が穴穂宮のために勅して全国に建立せられた九ヶ寺の一つとされ、また推古天皇33年に高麗王より大和朝廷に貢された恵潅僧正が来往し、光恩寺を開いたと言われている。
妙印尼輝子の時代には、佐貫庄の末裔である赤井氏の菩提寺となる。
境内には館林城を築いた妙印尼輝子の父とも言われる赤井照光の墓がある。
――――――――――
【赤岩城】
光恩寺の境内は赤岩城跡でもある。
赤岩城は、鎌倉時代に佐貫城の城主佐貫太郎資綱の子供である次郎太郎嗣綱が赤岩の地に配された際、居城として築いたのが始まりとされる。
赤岩の地名の由来は浅間山が噴火した際に、真っ赤な岩が利根川で当地まで流されたとも、天応年間に巡錫で当地を訪れた旅僧が夕陽を浴びて真っ赤に染まった巌に神秘を感じ、稲荷神を感状したからとも云われる。
嗣綱は地名に因み「赤岩」姓を掲げたとも云われるが、跡を継いだ嗣綱の子供である文治四郎広嗣は前橋の青柳城を築き本城を遷し、後裔は「青柳」姓を名乗ったとも云われている。
相撲奉行人としても知られ、建久2年に頼朝が三浦義隅の邸宅に訪れた際に三浦氏との相撲の勝負を披露し、建久3年には永福寺の池石を畠山重忠、大井実春等と共に運搬し称賛されている。
広嗣は治承4年に足利忠綱に従軍し以仁王、源頼政の追討戦いに参加、元暦元年の一の谷の戦いの際には源範頼軍に従軍、文治5年に行われた奥州合戦では源頼朝に従軍し鎌倉幕府の御家人として地位を確立した。
その後の青柳氏の動向は不明だが、室町時代になると青柳城の城主は赤井氏が勤め、館林城を築いたとされる赤井照光は遺言で、赤岩城の城跡に境内を構えている赤岩山光恩寺は先祖の菩提寺であるから、境内にある堂山(赤岩堂山古墳)に埋葬して欲しいと残し、実際に墓碑が建立されている。
これらが事実であるとすれば、佐貫氏から赤岩、青柳、赤井と順次に姓を改めたのかもしれない。
赤岩城が何時頃廃城になったのかは定かではないが、光恩寺が永享12年の結城合戦の兵火で大きな被害を受けた際、本尊の阿弥陀三尊像は自ら本堂から脱出し焼失を免れ「堂山焼け出しの弥陀」との別称がある事から、室町時代には既に廃城となり、光恩寺が境内を構えていた事が窺える。
――――――――――
【荻野吟子】
1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年6月23日)
近代日本における最初の女性の医師である。
女性運動家としても知られる

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光恩寺の基本情報

名称光恩寺
読み方こうおんじ
通称赤岩不動尊
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0276-86-2157

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊《本尊》不動明王 (北関東三十六不動尊)
《札所本尊》薬師如来(関東九十一薬師)
《札所本尊》地蔵菩薩(関東百八地蔵尊)
《堂宇》光の涅槃堂(寝釈迦)・訶梨帝母堂・弁天堂
《諸尊》阿弥陀三尊・水子子育地蔵尊
《鎮守社》祭神不明二社
山号赤岩山
院号地蔵院
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代推古天皇33年 
開山・開基(開山)恵灌
文化財

⚫︎銅五種鈴(国の重要文化財)
⚫︎阿弥陀三尊像、地蔵菩薩画像板碑(県指定重要文化財)
⚫︎梵鐘(町指定重要文化財)
⚫︎荻野吟子生家長屋門、光恩寺庫裏(国の登録有形文化財)

ご由緒

開山は古く、寺伝によると雄略天皇が穴穂宮のために勅して全国に建立せられた九ヶ寺の一つとされ、また推古天皇33年に高麗王より大和朝廷に貢された恵潅僧正が来往し、光恩寺を開いたと言われている。
妙印尼輝子の時代には、佐貫庄の末裔である赤井氏の菩提寺となる。
境内には館林城を築いた妙印尼輝子の父とも言われる赤井照光の墓がある。
――――――――――
【赤岩城】
光恩寺の境内は赤岩城跡でもある。
赤岩城は、鎌倉時代に佐貫城の城主佐貫太郎資綱の子供である次郎太郎嗣綱が赤岩の地に配された際、居城として築いたのが始まりとされる。
赤岩の地名の由来は浅間山が噴火した際に、真っ赤な岩が利根川で当地まで流されたとも、天応年間に巡錫で当地を訪れた旅僧が夕陽を浴びて真っ赤に染まった巌に神秘を感じ、稲荷神を感状したからとも云われる。
嗣綱は地名に因み「赤岩」姓を掲げたとも云われるが、跡を継いだ嗣綱の子供である文治四郎広嗣は前橋の青柳城を築き本城を遷し、後裔は「青柳」姓を名乗ったとも云われている。
相撲奉行人としても知られ、建久2年に頼朝が三浦義隅の邸宅に訪れた際に三浦氏との相撲の勝負を披露し、建久3年には永福寺の池石を畠山重忠、大井実春等と共に運搬し称賛されている。
広嗣は治承4年に足利忠綱に従軍し以仁王、源頼政の追討戦いに参加、元暦元年の一の谷の戦いの際には源範頼軍に従軍、文治5年に行われた奥州合戦では源頼朝に従軍し鎌倉幕府の御家人として地位を確立した。
その後の青柳氏の動向は不明だが、室町時代になると青柳城の城主は赤井氏が勤め、館林城を築いたとされる赤井照光は遺言で、赤岩城の城跡に境内を構えている赤岩山光恩寺は先祖の菩提寺であるから、境内にある堂山(赤岩堂山古墳)に埋葬して欲しいと残し、実際に墓碑が建立されている。
これらが事実であるとすれば、佐貫氏から赤岩、青柳、赤井と順次に姓を改めたのかもしれない。
赤岩城が何時頃廃城になったのかは定かではないが、光恩寺が永享12年の結城合戦の兵火で大きな被害を受けた際、本尊の阿弥陀三尊像は自ら本堂から脱出し焼失を免れ「堂山焼け出しの弥陀」との別称がある事から、室町時代には既に廃城となり、光恩寺が境内を構えていた事が窺える。
――――――――――
【荻野吟子】
1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年6月23日)
近代日本における最初の女性の医師である。
女性運動家としても知られる

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体験
供養
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