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こうおんじ|高野山真言宗赤岩山

光恩寺の御由緒・歴史
群馬県 篠塚駅

ご本尊《本尊》不動明王 (北関東三十六不動尊)
《札所本尊》薬師如来(関東九十一薬師)
《札所本尊》地蔵菩薩(関東百八地蔵尊)
《堂宇》光の涅槃堂(寝釈迦)・訶梨帝母堂・弁天堂
《諸尊》阿弥陀三尊・水子子育地蔵尊
《鎮守社》祭神不明二社
創建時代推古天皇33年 
開山・開基(開山)恵灌
ご由緒

開山は古く、寺伝によると雄略天皇が穴穂宮のために勅して全国に建立せられた九ヶ寺の一つとされ、また推古天皇33年に高麗王より大和朝廷に貢された恵潅僧正が来往し、光恩寺を開いたと言われている。
妙印尼輝子の時代には、佐貫庄の末裔である赤井氏の菩提寺となる。
境内には館林城を築いた妙印尼輝子の父とも言われる赤井照光の墓がある。
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【赤岩城】
光恩寺の境内は赤岩城跡でもある。
赤岩城は、鎌倉時代に佐貫城の城主佐貫太郎資綱の子供である次郎太郎嗣綱が赤岩の地に配された際、居城として築いたのが始まりとされる。
赤岩の地名の由来は浅間山が噴火した際に、真っ赤な岩が利根川で当地まで流されたとも、天応年間に巡錫で当地を訪れた旅僧が夕陽を浴びて真っ赤に染まった巌に神秘を感じ、稲荷神を感状したからとも云われる。
嗣綱は地名に因み「赤岩」姓を掲げたとも云われるが、跡を継いだ嗣綱の子供である文治四郎広嗣は前橋の青柳城を築き本城を遷し、後裔は「青柳」姓を名乗ったとも云われている。
相撲奉行人としても知られ、建久2年に頼朝が三浦義隅の邸宅に訪れた際に三浦氏との相撲の勝負を披露し、建久3年には永福寺の池石を畠山重忠、大井実春等と共に運搬し称賛されている。
広嗣は治承4年に足利忠綱に従軍し以仁王、源頼政の追討戦いに参加、元暦元年の一の谷の戦いの際には源範頼軍に従軍、文治5年に行われた奥州合戦では源頼朝に従軍し鎌倉幕府の御家人として地位を確立した。
その後の青柳氏の動向は不明だが、室町時代になると青柳城の城主は赤井氏が勤め、館林城を築いたとされる赤井照光は遺言で、赤岩城の城跡に境内を構えている赤岩山光恩寺は先祖の菩提寺であるから、境内にある堂山(赤岩堂山古墳)に埋葬して欲しいと残し、実際に墓碑が建立されている。
これらが事実であるとすれば、佐貫氏から赤岩、青柳、赤井と順次に姓を改めたのかもしれない。
赤岩城が何時頃廃城になったのかは定かではないが、光恩寺が永享12年の結城合戦の兵火で大きな被害を受けた際、本尊の阿弥陀三尊像は自ら本堂から脱出し焼失を免れ「堂山焼け出しの弥陀」との別称がある事から、室町時代には既に廃城となり、光恩寺が境内を構えていた事が窺える。
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【荻野吟子】
1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年6月23日)
近代日本における最初の女性の医師である。
女性運動家としても知られる

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