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とうぜんじ|臨済宗建長寺派瑞雲山

東禅寺
群馬県 丸山下駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

墓地前に比較的広い駐車場
ただし彼岸・お盆等は壇信徒以外は駐車禁止の看板あり

その他の巡礼の情報

関東九十一薬師霊場 第五十二番 永明寺の代理札所

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くし
くし
2024年01月07日(日)1703投稿

千手寺で全く時間が潰せず、仕方なく次に行ったこのお寺の駐車場で崇禅寺の投稿しながら9時を待ちました(^^;

崇禅寺とは河内町の谷戸を挟んで反対側の山にあるお寺です。(千手寺は谷戸の真ん中辺にある)
崇禅寺や千手寺の開基の智明坊は俗名 園田成家というこの地方の荘司だったそうですが、ここもその一族の園田氏ゆかりのお寺で微妙に関係がある。
(三寺とも臨済宗 ただし千手寺のみ妙心寺派であとの二寺は建長寺派)
智明坊の時代からおよそ130年ほど下った1336年、当時の園田一族の一人、園田秀澄という人が新田義貞の家臣となり、義貞公がこのお寺に戦勝祈願の毘沙門天像を寄進したそうです (現存してるらしい)

・・・しかし、この時はこういう沿革を全く知らず、投稿するに当たりいろいろ調べてみて初めて義貞公との関係あるお寺ということがわかった。
この後、紆余曲折あって寺院には見切りをつけて神社巡りにシフトしたのですが、それがほとんど新田義貞公に関係する神社だった!?((( ;゚Д゚)))
うーむ・・・ついこの前居館跡の反町薬師に行ったので、義貞公に導かれたか、あるいは取り憑かれたのかもしれませんな(^^;

ここは受印情報があったので9時まで待ってから参拝したのですが、あいにく住職多忙で対応不可(ちょうど出掛けるところだった)で受印できませんでした orz
導かれただの取り憑かれただの言ってるクセに縁があるのかないのかよくわからんwww

ちなみに受印情報はあったのですが、桐生仏教会のHPや前の方の投稿を見ると「御朱印なし」となっている・・・ん?どゆこと( -_・)?とさらに深掘りしてみたところ、どうやらこのお寺自体の御朱印はないのですが、兼務寺(?)の永明寺というお寺の関東九十一薬師霊場 第五十二番の代理札所になっていてそれが受印できるようです。

東禅寺(群馬県)

山門

東禅寺の仏像

山門左右に仁王のように一対の如来像が鎮座

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たかく
たかく
2019年10月06日(日)133投稿

現在の群馬県世良田にある長楽寺は、その昔臨済禅の名刹であり、常に数多くの雲納、僧侶が参集し、修行伝道の大道場であった。時の長楽寺単寮より法を受けた南海宝州は上州小倉村に来錫し字釈迦堂に小庵を結び郷民の摂化伝道に勤め、後に当地に堂宇を建立し、縁師仏乗禅師を勧請し瑞雲山東禅寺を開創したのである。時に正中2年(1325年)3月であった。
 降って建武3年(1336年)新田義貞公は、出兵に当り園田七郎秀成の実子園田四郎左衛門尉秀澄を家臣に加え、一族の戦勝を祈念して東禅寺へ「毘沙門天像」を寄進し、寺領を奉納した。しかし武運つたなく建武5年(1338年)7月両者共に戦死した。市指定文化財「建武の碑」は、その供養塔と思われるものである。
更に降って天文、永禄年間は戦国の世となり、上杉・武田、及び桐生・由良両氏の交戦の戦禍に巻かれ総ては灰燼と化し、開創以来200余年の歴史的空白を生じたのである。
 当山2代喜伯慶公和尚は、東禅寺開創者の子孫の帰依を受け字吾妻沢に東禅寺を再興した。時に天正元年(1573年)11月1日であった。
 現存せる東禅寺本堂は、当山6代古岳浮公和尚の発願により、寛永8年(1631年)3月現在地へ移築したものである。宝永8年(1711年)当山10代蔭涼和尚の時、梵鐘も鋳造し鐘楼も建立して名実ともに臨済寺院としての形容も整えた。しかしこの梵鐘も第2次世界大戦の時応召され鐘楼のみ残された。現在の梵鐘は昭和48年に再鋳奉納されたものである。
 さて、平成に入り当山は、本堂・禅堂・庫裏の整備を行い、平成7年秋には大本山建長寺管長「吉田正道老大師」を始め多くの関係寺院の住職を拝請し、檀信徒の見守る中、落慶大法要を厳修した。
御朱印はないそうです。

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東禅寺の基本情報

名称東禅寺
読み方とうぜんじ
電話番号0277-65-6472

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.kiributsu.jp/hp/kawauchi/touzenji/touzenji.html

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号瑞雲山
宗旨・宗派臨済宗建長寺派
創建時代正中2年(1325年)
開山・開基佛乗禅師
文化財

本尊阿弥陀如来座像
毘沙門天像(新田公寄進)
馬頭観世音像(伝弘法大師作)
釈迦涅槃図
弥陀三尊懸仏
東禅寺角塔「建武の碑」(桐生市指定文化財)

ご由緒

(桐生仏教会HPより)
現在の群馬県世良田にある長楽寺は、その昔臨済禅の名刹であり、常に数多くの雲納、僧侶が参集し、修行伝道の大道場であった。時の長楽寺単寮より法を受けた南海宝州は上州小倉村に来錫し字釈迦堂に小庵を結び郷民の摂化伝道に勤め、後に当地に堂宇を建立し、縁師仏乗禅師を勧請し瑞雲山東禅寺を開創したのである。時に正中2年(1325年)3月であった。
降って建武3年(1336年)新田義貞公は、出兵に当り園田七郎秀成の実子園田四郎左衛門尉秀澄を家臣に加え、一族の戦勝を祈念して東禅寺へ「毘沙門天像」を寄進し、寺領を奉納した。しかし武運つたなく建武5年(1338年)7月両者共に戦死した。市指定文化財「建武の碑」は、その供養塔と思われるものである。
更に降って天文、永禄年間は戦国の世となり、上杉・武田、及び桐生・由良両氏の交戦の戦禍に巻かれ総ては灰燼と化し、開創以来200余年の歴史的空白を生じたのである。
当山2代喜伯慶公和尚は、東禅寺開創者の子孫の帰依を受け字吾妻沢に東禅寺を再興した。時に天正元年(1573年)11月1日であった。
現存せる東禅寺本堂は、当山6代古岳浮公和尚の発願により、寛永8年(1631年)3月現在地へ移築したものである。宝永8年(1711年)当山10代蔭涼和尚の時、梵鐘も鋳造し鐘楼も建立して名実ともに臨済寺院としての形容も整えた。しかしこの梵鐘も第2次世界大戦の時応召され鐘楼のみ残された。現在の梵鐘は昭和48年に再鋳奉納されたものである。
さて、平成に入り当山は、本堂・禅堂・庫裏の整備を行い、平成7年秋には大本山建長寺管長「吉田正道老大師」を始め多くの関係寺院の住職を拝請し、檀信徒の見守る中、落慶大法要を厳修した。

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