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泉竜寺(乙女不動尊)ではいただけません
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せんりゅうじ|真言宗豊山派御瀧山

泉竜寺(乙女不動尊)
栃木県 間々田駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

北関東三十六不動尊霊場
第十三番

おすすめの投稿

☀️太陽を探して☀️
☀️太陽を探して☀️
2022年09月24日(土)
282投稿

北関東三十六不動尊霊場🌅
今年中に満願しちゃおう企画🈵
題して「ハッスル巡礼36」第8弾‼️は
第十三番巡礼場の真言宗泉龍寺へ🙏
(ホトカミでは泉竜寺)
もちろん御本尊は不動明王様☀️
通称乙女不動尊と呼ばれております。

乙女が付くのでジェンダー寄りな御不動様かな?
と思いきや、いやいやそんなはずではないない🙅‍♂️
当地区が乙女村だからだそうです🙆‍♂️

江戸時代には徳川家から手厚い庇護を受けており
本堂には葵の御紋がありました。
参勤交代では東北方面から江戸への休憩地となり
多くの大名が立ち寄ったそうです🙇‍♂️

住職さんが不在のためご婦人に御朱印を
書いて頂きました。
年齢を重ねている様でしたが、とても綺麗な方で
日頃の美貌キープが垣間見れました。
誰でも皆等しく体は衰えていきますが
いつまでも若々しくいられる様、日頃から
自分磨きをなさっているのはとても素晴らしい事ですね。
俺も見習わなければ☀️いや見習わせて頂きたい‼️

またまた徳を積む事が出来ました⭕️
本日の徳々ポイントは御朱印料300Pと
美人マダムに感謝🌈

あなたの隣にハッスル巡礼🈵
楽しくお参りハッスル巡礼🈵
しあわせ降臨ハッスル巡礼🈵
せ〜の〜
ハッスル🌈ハッスル🌈

御不動様☀️
本日もお導き下さり
ありがとうございました😊

泉竜寺(乙女不動尊)の御朱印
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)の本殿
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)の本殿
泉竜寺(乙女不動尊)の像
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)

御神水を頂きました。
長生き出来そうです。

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🌷日向ぼっこ☀️🐇
🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年09月24日(日)
896投稿

🌼泉龍寺 (せんりゅうじ)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は、栃木県小山市にある真言宗豊山派の寺院。御瀧山明王院泉龍寺不動坊と号す。北関東三十六不動尊十三番札所。通称 乙女不動尊。🍀寺の縁起によれば、昔ある僧が、日光中禅寺湖の湖水に浴して修行をしていたところ、百日目の満願の日の朝、湖上に光り輝くものがあった。何かと近づいたところ、不動明王の像であったという。🌺その僧は感激のあまり涙を流し、清滝の流れに沿って不動明王像を担ぎ南へと下った。そのとき僧は「どうか有縁の地をお示し下さり、衆生を過去現在未来の三世にわたって永く救済したまえ」と願をかけ、昼はほこりにまみれて歩き、夜は野山に臥して、不動明王の有縁の地を求めました。🌷ちょうど乙女の里にさしかかったところ、急に背中の像がずしりと重くなり、耐えかねた僧は、像を置きひと休みした。そしてもう一度像を担ごうとしたところ、どんなに力を入れてもピクリとも動かない。🍁僧は「明王が示したまえる場所はここなのだ」と思い、里人に説いて小さな堂を造り安置した。これが乙女寒沢の地にある不動塚だという。のち年を経て馬蹄のほこりにさらされることを憂い、乙女の地でも上の手に移し、これが現在泉龍寺のある不動原である 🍁寺は正慶2年(1333年)に建立されたが、観応2年(1351年)、兵火に逢い灰燼に帰してしまう。その後、永徳2年(1382年)再度建立されたのも束の間、小山義政が反逆を起こした際に、鎌倉公方左兵衛督足利氏満が兵を率いて討伐に討って出たのであった。☘️山野に放火された火が堂に引火、これを焼失してしまい以降、至徳3(1386年)の小山若犬丸の乱など、数度におよぶ戦火に遭遇、それでも、不動明王像は厳然として戦火に出ていき、その慈救の威相はさらに輝きを増していったという。そのため、火伏の不動ともいわれている。🌹泉龍寺は三度寺地を替えている。1度目は乙女寒沢の不動塚より不動原へ。これは共に鎌倉街道沿いであった。2度目は大永年間に不動原より日光街道沿いとなる乙女字西館の地へ。そして3度目は昭和に区画整理事業のため元の不動原へ移転し現在に至っています。

🍁所在地 : 栃木県小山市乙女1丁目25−8

泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)の本殿
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)の仏像
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歴史

寺は正慶2年(1333年)に建立されたが、観応2年(1351年)、兵火に逢い灰燼に帰してしまう。その後、永徳2年(1382年)再度建立されたのも束の間、小山義政が反逆を起こした際に、鎌倉公方左兵衛督足利氏満が兵を率いて討伐に討って出たのであった。しかし、山野に放火された火が堂に引火、これを焼失してしまう。以降、至徳3年(1386年)の小山若犬丸の乱など、数度に及ぶ戦火に遭遇、それでも、不動明王像は厳然として戦火に出ていき、その慈救の威相はさらに輝きを増していったという。そのため、火伏の不動ともいわれている。泉龍寺は三度寺地を替えている。1度目は乙女寒沢の不動塚より不動原へ。これは共に鎌倉街道沿いであった。2度目は大永年間に不動原より日光街道沿いとなる乙女字西館の地へ。そして3度目は昭和に区画整理事業のため元の不動原へ移転し現在に至っている。

慶長11年(1606年)江戸幕府より寺領を賜り、以降御朱印地として歴代の徳川将軍より「不動仏供領」の寺領朱印状を受けている。江戸時代も半ばになり、不動堂もいたんできた。ときの泉龍寺住職、淳元上人の発願で正徳2年(1712年)不動堂を新しくすることとなった。乙女村はもとより、古河・小山などの近郷近在、江戸など遠方の往来者が金品や仏具、また金銭はなくとも建設に参加するなどして布施をした。中でも乙女の住人青木美朝と江戸横山町の植木助五郎義豊が大施主として布施をした。正徳4年、不動堂は完成し、それを機に不動明王像は秘仏となり扉の奥に安置され、その前に御前立ち本尊として不動明王坐像を安置することとなった。以来25年目に一度、二まわり目の午年に秘仏を開帳し、長日護摩を厳修することとなった。

寺号の由来は、ある時、疫病に悩む庶民の苦しみを救うために本尊に祈祷したところ、この地に清らかな泉が湧き出て、その病がたちまちにして治ったことから、泉龍と号すようになったといわれている。また、不動堂を背にして左前に不動池といわれる水行場があり、端に水掛け乙女不動尊の像が美しく佇んでいる。

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名称泉竜寺(乙女不動尊)
読み方せんりゅうじ
通称乙女不動尊
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0285-45-0373
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

北関東三十六不動尊霊場

第13番

御真言:

なう まく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そはたや うんたらた かんまん

御詠歌:

水掛けて 祈りの水を 降らしつつ 病苦の民を 救ふ不動尊

詳細情報

ご本尊本尊 大日如来 
札所本尊 不動明王
山号御瀧山
院号明王院
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代正慶2年(1333年頃)
文化財

水掛不動尊
不動明王(本尊御分身像)
山門額(泉龍寺中興祖淳元上人・黄檗宗南川和尚両面額)
芭蕉句碑
松平定賢奉納 陣羽織・采配、詩文
本多康恒奉納 十二天像
島津光久奉納 詩文

ご由緒

寺は正慶2年(1333年)に建立されたが、観応2年(1351年)、兵火に逢い灰燼に帰してしまう。その後、永徳2年(1382年)再度建立されたのも束の間、小山義政が反逆を起こした際に、鎌倉公方左兵衛督足利氏満が兵を率いて討伐に討って出たのであった。しかし、山野に放火された火が堂に引火、これを焼失してしまう。以降、至徳3年(1386年)の小山若犬丸の乱など、数度に及ぶ戦火に遭遇、それでも、不動明王像は厳然として戦火に出ていき、その慈救の威相はさらに輝きを増していったという。そのため、火伏の不動ともいわれている。泉龍寺は三度寺地を替えている。1度目は乙女寒沢の不動塚より不動原へ。これは共に鎌倉街道沿いであった。2度目は大永年間に不動原より日光街道沿いとなる乙女字西館の地へ。そして3度目は昭和に区画整理事業のため元の不動原へ移転し現在に至っている。

慶長11年(1606年)江戸幕府より寺領を賜り、以降御朱印地として歴代の徳川将軍より「不動仏供領」の寺領朱印状を受けている。江戸時代も半ばになり、不動堂もいたんできた。ときの泉龍寺住職、淳元上人の発願で正徳2年(1712年)不動堂を新しくすることとなった。乙女村はもとより、古河・小山などの近郷近在、江戸など遠方の往来者が金品や仏具、また金銭はなくとも建設に参加するなどして布施をした。中でも乙女の住人青木美朝と江戸横山町の植木助五郎義豊が大施主として布施をした。正徳4年、不動堂は完成し、それを機に不動明王像は秘仏となり扉の奥に安置され、その前に御前立ち本尊として不動明王坐像を安置することとなった。以来25年目に一度、二まわり目の午年に秘仏を開帳し、長日護摩を厳修することとなった。

寺号の由来は、ある時、疫病に悩む庶民の苦しみを救うために本尊に祈祷したところ、この地に清らかな泉が湧き出て、その病がたちまちにして治ったことから、泉龍と号すようになったといわれている。また、不動堂を背にして左前に不動池といわれる水行場があり、端に水掛け乙女不動尊の像が美しく佇んでいる。

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