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泉竜寺(乙女不動尊)ではいただけません
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せんりゅうじ

泉竜寺(乙女不動尊)のお参りの記録(1回目)
栃木県間々田駅

投稿日:2023年09月24日(日)
参拝:2023年5月吉日
🌼泉龍寺 (せんりゅうじ)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は、栃木県小山市にある真言宗豊山派の寺院。御瀧山明王院泉龍寺不動坊と号す。北関東三十六不動尊十三番札所。通称 乙女不動尊。🍀寺の縁起によれば、昔ある僧が、日光中禅寺湖の湖水に浴して修行をしていたところ、百日目の満願の日の朝、湖上に光り輝くものがあった。何かと近づいたところ、不動明王の像であったという。🌺その僧は感激のあまり涙を流し、清滝の流れに沿って不動明王像を担ぎ南へと下った。そのとき僧は「どうか有縁の地をお示し下さり、衆生を過去現在未来の三世にわたって永く救済したまえ」と願をかけ、昼はほこりにまみれて歩き、夜は野山に臥して、不動明王の有縁の地を求めました。🌷ちょうど乙女の里にさしかかったところ、急に背中の像がずしりと重くなり、耐えかねた僧は、像を置きひと休みした。そしてもう一度像を担ごうとしたところ、どんなに力を入れてもピクリとも動かない。🍁僧は「明王が示したまえる場所はここなのだ」と思い、里人に説いて小さな堂を造り安置した。これが乙女寒沢の地にある不動塚だという。のち年を経て馬蹄のほこりにさらされることを憂い、乙女の地でも上の手に移し、これが現在泉龍寺のある不動原である 🍁寺は正慶2年(1333年)に建立されたが、観応2年(1351年)、兵火に逢い灰燼に帰してしまう。その後、永徳2年(1382年)再度建立されたのも束の間、小山義政が反逆を起こした際に、鎌倉公方左兵衛督足利氏満が兵を率いて討伐に討って出たのであった。☘️山野に放火された火が堂に引火、これを焼失してしまい以降、至徳3(1386年)の小山若犬丸の乱など、数度におよぶ戦火に遭遇、それでも、不動明王像は厳然として戦火に出ていき、その慈救の威相はさらに輝きを増していったという。そのため、火伏の不動ともいわれている。🌹泉龍寺は三度寺地を替えている。1度目は乙女寒沢の不動塚より不動原へ。これは共に鎌倉街道沿いであった。2度目は大永年間に不動原より日光街道沿いとなる乙女字西館の地へ。そして3度目は昭和に区画整理事業のため元の不動原へ移転し現在に至っています。

🍁所在地 : 栃木県小山市乙女1丁目25−8
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)の本殿
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)(栃木県)
泉竜寺(乙女不動尊)の仏像

すてき

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