はんけいじ|曹洞宗|潜龍山
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駐車場 | あり | ||
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御朱印 | - | ありません |
繁桂寺について
当地の豪族 藤岡氏の開基。
山号は少し南にある湧水跡の伝説に因むと思われる。
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藤岡の市街地(藤岡駅付近)にはお寺は3寺しかなく、それなら全部回ってしまおうと思い、まず一番大きく檀家数も多いらしい(500戸以上)、こちらのお寺から行ってみました。
しかし御朱印はやってないとのこと(-ω-) まぁ檀家500戸もいればそれだけで食ってけるもんな(違w)
藤岡領主 藤岡出羽守政房公の開基。
まぁ藤岡氏といっても地方のローカル過ぎる小領主ですので、よほどの戦国好きでも興味ないと思いますがw 一応軽くご紹介(^^;
藤姓足利氏の一支族 足利房行が藤岡城主となり以後子孫
は藤岡氏を名乗る。
戦国時代は、同じく藤姓足利氏の流れを汲む同族であるはずの佐野氏となぜか敵対。
藤岡氏は早い段階で北条氏に屈しており、藤岡城が佐野、宇都宮、佐竹など北関東諸将に対する北条方の最前線となったためらしい。
天正5年(1577年)、最後の当主 藤岡佐渡守清房が、佐野宗綱に敗れて自刃し藤岡氏は断絶。
以後は家老の茂呂弾正久重(この人は館林赤井氏の家臣らしい)が城主となったが、天正18年(1590年)小田原落城と運命をともにして藤岡城も廃城となった。
このお寺には藤岡氏最後の当主 清房公と、幕末~明治の儒学者 森鴎村のお墓もあるそうです。
え!あの森鷗外と関係ある人なのか!?Σ(; ゚Д゚)と思ったのですが・・・全く関係ありませんでしたw チャンチャン♪
よく似た名前なのにいくらググっても全く接点が出てこなかった(゜Д゜)ポカーン
山門
山門右に古い石仏群
そういえば七不思議の大中寺もいいかげん御朱印再開しただろうし、そのうち再訪しなくちゃな
この道しるべに従い、後ほど弁天池伝説というのに行ってみたのですが・・・
山門入ってすぐ右に小さいお堂
馬頭尊
右は三宝荒神かと思ったのですが、どうも頭に馬が乗ってるようにも見えるのでこれも馬頭観音なのかな?
扉が半分開いてたので覗いてみたら・・・
観音堂でした
いろいろ御札が祀られてるので何か由緒あり気ですが、堂前の立て札がかすれて読めなくなってる( ´・ω・`)
参道はわりと長いです
鐘楼
本堂近くには藤棚もあり
もう少し早い時期に来れば良かった
水子地蔵
子供の像が妙に写実的
誰やねん?( ´・ω・`)
岩崎清七という実業家の墓もあるらしいのでその人かもしれません
藤棚の下を右に進むと浄水
左側に仏足石
本堂
本堂内が拝めるようです
線香もあったけど禁煙してライター持ち歩かなくなったので焼香できず(^^;
実は葬儀か法事の予定が入ってるようだったΣ(´∀`;)
庫裏に声掛けしたところ、奥様に御朱印はやってないと言われたのですが、上記事情のため適当にあしらわれただけの可能性もあり(疑り深いw)
小さな堂宇が一つ
薬師堂のようです
名称 | 繁桂寺 |
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読み方 | はんけいじ |
御朱印 | なし |
電話番号 | 0282-62-2139 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 《本尊》釈迦牟尼仏 《堂宇》薬師堂・観音堂 |
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山号 | 潜龍山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 1145年頃(久安年間) |
開山・開基 | 藤岡出羽守政房 |
ご由緒 | 下野国都賀郡藤岡字上高野(寺山)に、久安年間(1145年頃)に建立。 後に藤岡領主藤岡出羽守政房公の開基にて、仙龍院から繁桂寺と改める。
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体験 | 武将・サムライ花の名所有名人のお墓 |
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