せいかんじ|真言宗智山派|歌中山
清閑寺京都府 御陵駅
8:00~16:00
小督局ゆかりの寺「清閑寺」
R1から東山ドライブウェイに入ってすぐ。
駐車場は...ない。月極はあるけどわからん。
石階段を登り門。
門の横に賽銭箱があり拝観料を入れ(志納金100円って8枚も張り紙あり)、境内に入ると見事な紅葉と苔の庭園で迎えてくれる。
門の左側に小督局供養塔、小督局桜、要石。要石から山と山の間に京の町が見える。
門の右側に本堂、鐘楼、西郷隆盛と月照が謀議した茶室『郭公亭』の石碑。茶室は平成に解体済み。
小督局は高倉天皇の寵妃で、清盛の怒りを買ってこの寺で出家させられ、高倉天皇の死後は天皇の菩提を弔った。
清閑寺のすぐ近くに高倉天皇の後清閑陵がある(ついでに六条天皇の清閑寺陵もあるよ)
ちょっと交通不便だが清水寺からも歩いていけるので(登山コースだけど)、こういうのを紅葉の穴場スポットというのだと思うぐらい綺麗、なのに誰もいない。
お寺自体無人っぽく、お庭の掃除の業者?っぽい人が複数人しかいなかった。
山門からの境内。左手が開いてない本堂。
境内。左手が「郭公亭」石碑と鐘楼
石階段と門
要石からの市内。
天皇陵前。今年の台風の影響。助けて宮内庁〜
歌中山と号する真言宗智山派の寺である。ここから清水寺までの山路は、かつては歌の中山と呼ばれる名所で、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。
延暦二十一年(802)に、天台宗の寺として比叡山の紹継法師によって創建され、一条天皇の時代(986〜1011)に勅願寺となった。
「平家物語」の悲恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりの寺で、平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は、宮中を追われてこの寺で出家させられたと伝えられている。天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し、二十一歳の若さでこの世を去った。背後の山に、六条天皇と高倉天皇の御陵があり、高倉天皇領の傍らには、天皇の死後、生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。
庭にある大きな石からは扇を広げたような形で市内が一望でき、その石が丁度扇の要の位置に当たることから「要石」と呼ばれ、願いをかけると叶うと言われている。
かつては法華三昧堂や宝塔などが並んでいたが、現在は菅原道真が梅樹から彫ったという本尊・十一面観音像を安置する本堂を残すのみである。
住所 | 京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町3 |
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行き方 | 京阪バス(四条山科醍醐線・五条坂経由)「清閑寺山ノ内町」下車、徒歩5分
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名称 | 清閑寺 |
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読み方 | せいかんじ |
通称 | 歌の中山 |
参拝時間 | 8:00~16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-561-7292 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 十一面千手観音菩薩 |
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山号 | 歌中山 |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 延暦21年(802年) |
開山・開基 | 紹継 |
ご由緒 | 歌中山と号する真言宗智山派の寺である。ここから清水寺までの山路は、かつては歌の中山と呼ばれる名所で、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。
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体験 | 有名人のお墓伝説 |
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