けそくじ|真言宗智山派|竹峰山
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駐車場 | あり |
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山号は竹峰山、院号は大悲院、寺号は華足寺、宗派は真言宗智山派、本尊は馬頭観世音菩薩で、奥州七観音に数えられ、奥州三十三観音霊場、第十五番札所である。寺伝によると807年(大同2年)、坂上田村麻呂が蝦夷征討で当地を訪れた際、戦没者の霊と戦死した愛馬を慰める為に馬頭観音(馬頭明王)を勧請し、愛馬を埋めた塚の上に堂を造営したのが始まりとされる。以来、牛馬の守護神としてそれらに従事する者や関係者から信仰の対象となり奥州七観音の1つにも数えられた。平安時代には奥州藤原氏の庇護を受けたが、1570年(元亀元年)に焼失した。江戸時代には仙台藩主・伊達氏によって再興され、1661年(寛文元年)に4代・綱村から寺領を、1787年(天明6年)に8代・斉村から馬頭観音堂を、1799年(寛政11年)に9代・周宗から山門をそれぞれ寄進されている。歴史
奥州三十三観音霊場、第十五番札所、馬頭観世音菩薩、
所在地:宮城県登米市東和町米川小山下2
山 号: 竹峯山
院 号: 大悲院
宗 派:真言宗智山派
寺 格:
本 尊: 馬頭観世音菩薩
創 建:1799年(寛政11年)
#奥州三十三觀音 第15番札所
※蔵出し忘れ
この石碑がある場所から登拝をするのであればかなりの運転技術が求められます。
普通車での登拝は運転に自身のある方なら・・・ 別の道もあるので気を付けて
お詣りくだされ!
歴史
別名、鱒淵馬頭観音といいます。
馬頭観音とは、馬が一心に草を食むように、人の煩悩を食らい尽くすという仏様。馬の守護仏としても祀られます。
華足寺は、西暦800年頃、蝦夷征伐にこの地を訪れた坂上田村麻呂が建立し、この地で死んだ愛馬を葬ったと伝えられている由緒あるお寺です。
安永の『登米郡鱒淵村風土記御用書出』には「田村麻呂の乗馬が一日で七か所の上棟式をかけ巡ったので、その早足に不思議を感じ、最後に訪れた鱒淵で死んだため観音堂上の山に埋め、石経を書かせ塚を築いた。ところが、夜毎に塚から光が出るので、人々が不思議に思って掘ってみると馬は悉く金色の馬頭明王となってあらわれ、石の箱をしたため山の鬼門の方向に埋めて置くことを言い伝えた。」とあります。
名称 | 華足寺 |
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読み方 | けそくじ |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0220-45-1221 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
奥州三十三観音霊場 第15番 | 御本尊:馬頭観音 御詠歌: 踏み迷う 麓の道は おほけなや 御法の鐘の 花の山寺 |
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詳細情報
ご本尊 | 馬頭観音 |
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山号 | 竹峰山 |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 大同2年(807年) |
開山・開基 | 坂上田村麻呂 |
文化財 | 山門、客殿(県指定有形文化財)
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ご由緒 | 別名、鱒淵馬頭観音といいます。 馬頭観音とは、馬が一心に草を食むように、人の煩悩を食らい尽くすという仏様。馬の守護仏としても祀られます。 華足寺は、西暦800年頃、蝦夷征伐にこの地を訪れた坂上田村麻呂が建立し、この地で死んだ愛馬を葬ったと伝えられている由緒あるお寺です。 安永の『登米郡鱒淵村風土記御用書出』には「田村麻呂の乗馬が一日で七か所の上棟式をかけ巡ったので、その早足に不思議を感じ、最後に訪れた鱒淵で死んだため観音堂上の山に埋め、石経を書かせ塚を築いた。ところが、夜毎に塚から光が出るので、人々が不思議に思って掘ってみると馬は悉く金色の馬頭明王となってあらわれ、石の箱をしたため山の鬼門の方向に埋めて置くことを言い伝えた。」とあります。 |
体験 | おみくじ御朱印お守り札所・七福神巡り |
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