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行願寺(革堂)ではいただけません
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ぎょうがんじ(こうどう)|天台宗霊麀山

行願寺(革堂)
京都府 神宮丸太町駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
なし

なし
近くにコインパーキングあり

巡礼

その他の巡礼の情報

西国三十三所第19番
洛陽三十三所観音霊場第4番
神仏霊場巡拝の道第114番(京都第34番)
都七福神巡り
寿老人

行願寺(革堂)について

幽霊絵馬


その昔、革堂に遊びに来ていた子守娘が天台宗の御詠歌を子供に教えているのを見た法華信者が、娘を殺し土中に埋めた。娘の両親は革堂の千手観音に願をかけ、娘の死の真相を知る。両親は絵馬に若い女性の幽霊を描き奉納したという。これが「幽霊絵馬」である。

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くるくるきよせん
2024年01月21日(日)
1520投稿

京都市中京区にあるお寺です。
以前お参りしたことがあるのですが 西国三十三霊場巡りの御朱印を拝受するためにお参りしました。
山号は霊麀山(れいゆうざん) 宗旨は天台宗 ご本尊は千手観音です。
革堂(こうどう)という別称でも知られる 三十三霊場の中で唯一の尼寺です。
新年早々ということもあってでしょう 三十三霊場巡りの御朱印を拝受する参拝者が多いこと。
特別御朱印もあり 行列は30分ほど続きました。

由緒については
『百錬抄』、『日本紀略』等によれば 行願寺は寛弘元年(1004年) 行円が一条小川の一条北辺堂跡地に堂を復興して行願寺と名付けたものである。
開山の行円は 仏門に入る前は狩猟を業としていたが ある時 山で身ごもった雌鹿を射たところ その亡くなった雌鹿の腹から子鹿の誕生するのを見 殺生の非を悟って仏門に入ったという。
行円はその雌鹿の皮を常に身につけていたことから 皮聖 皮聖人などと呼ばれ それによって寺の名も革堂と呼ばれるようになった。
行円の生没年は未詳だが 比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。
藤原道長の息の藤原顕信は 寛弘9年(1012年) 行円のもとで剃髪出家している。
とありました。

行願寺(革堂)(京都府)

山門 この色合いが大好きです

行願寺(革堂)の建物その他

石柱 くにゃくにゃ文字が印象的

行願寺(革堂)(京都府)

寺標

行願寺(革堂)(京都府)

御朱印拝受だけの列 短そうですか?30分待ちです

行願寺(革堂)(京都府)

目 が見えます

行願寺(革堂)(京都府)

香炉の狛犬?

行願寺(革堂)(京都府)

七福神の御朱印もあります

行願寺(革堂)(京都府)

本堂の中がちらり

行願寺(革堂)(京都府)

奉納の額が古いこと

行願寺(革堂)(京都府)

石柱

行願寺(革堂)の本殿

本堂

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歴史

出家前の行円は猟師であったが、射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入ったと言い伝えられている。
行円が比叡山の横川で修行したとされており、皮聖と呼ばれていたようであるが、これは自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身につけていたことに由来しているといわれている。
行円が寛弘元年(1004年)に一乗小川に堂を建てたのが行願寺の創始と伝えられているが、行願寺という正式名称よりも革堂とという名称の方が一般にはよく知られているのも、行円が鹿皮を身につけていたことによるといわれている。

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行願寺(革堂)の基本情報

住所京都府京都市中京区行願寺門前町17
行き方

京阪電車 神宮丸太町駅下車徒歩10分
京都市営地下鉄 京都市役所前駅下車徒歩約15分

アクセスを詳しく見る
名称行願寺(革堂)
読み方ぎょうがんじ(こうどう)
参拝時間

8:00~16:30

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印あり
電話番号075-211-2770
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://kaudau.jp/
お守りあり

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

洛陽三十三所観音霊場

都七福神

詳細情報

ご本尊千手観世音菩薩
山号霊麀山
宗旨・宗派天台宗
創建時代寛弘元年(1004年)
開山・開基行円
文化財

本堂・鐘楼(市指定文化財)

ご由緒

出家前の行円は猟師であったが、射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入ったと言い伝えられている。
行円が比叡山の横川で修行したとされており、皮聖と呼ばれていたようであるが、これは自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身につけていたことに由来しているといわれている。
行円が寛弘元年(1004年)に一乗小川に堂を建てたのが行願寺の創始と伝えられているが、行願寺という正式名称よりも革堂とという名称の方が一般にはよく知られているのも、行円が鹿皮を身につけていたことによるといわれている。

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