ぎょうがんじ(こうどう)|天台宗|霊麀山
行願寺(革堂)京都府 神宮丸太町駅
8:00~16:30
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | なし
|
こちらも月参り。藤袴が終わり参道がさみしくなりました。手水舎の奥のアサギマダラの絵が名残ですね😅今月は御朱印が少ないようで天台大師御命日の御朱印が出ていたので拝受してきました。
京都市中京区にあるお寺です。
以前お参りしたことがあるのですが 西国三十三霊場巡りの御朱印を拝受するためにお参りしました。
山号は霊麀山(れいゆうざん) 宗旨は天台宗 ご本尊は千手観音です。
革堂(こうどう)という別称でも知られる 三十三霊場の中で唯一の尼寺です。
新年早々ということもあってでしょう 三十三霊場巡りの御朱印を拝受する参拝者が多いこと。
特別御朱印もあり 行列は30分ほど続きました。
由緒については
『百錬抄』、『日本紀略』等によれば 行願寺は寛弘元年(1004年) 行円が一条小川の一条北辺堂跡地に堂を復興して行願寺と名付けたものである。
開山の行円は 仏門に入る前は狩猟を業としていたが ある時 山で身ごもった雌鹿を射たところ その亡くなった雌鹿の腹から子鹿の誕生するのを見 殺生の非を悟って仏門に入ったという。
行円はその雌鹿の皮を常に身につけていたことから 皮聖 皮聖人などと呼ばれ それによって寺の名も革堂と呼ばれるようになった。
行円の生没年は未詳だが 比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。
藤原道長の息の藤原顕信は 寛弘9年(1012年) 行円のもとで剃髪出家している。
とありました。
山門 この色合いが大好きです
石柱 くにゃくにゃ文字が印象的
寺標
御朱印拝受だけの列 短そうですか?30分待ちです
目 が見えます
香炉の狛犬?
七福神の御朱印もあります
本堂の中がちらり
奉納の額が古いこと
石柱
本堂
出家前の行円は猟師であったが、射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入ったと言い伝えられている。
行円が比叡山の横川で修行したとされており、皮聖と呼ばれていたようであるが、これは自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身につけていたことに由来しているといわれている。
行円が寛弘元年(1004年)に一乗小川に堂を建てたのが行願寺の創始と伝えられているが、行願寺という正式名称よりも革堂とという名称の方が一般にはよく知られているのも、行円が鹿皮を身につけていたことによるといわれている。
住所 | 京都府京都市中京区行願寺門前町17 |
---|---|
行き方 | 京阪電車 神宮丸太町駅下車徒歩10分
|
名称 | 行願寺(革堂) |
---|---|
読み方 | ぎょうがんじ(こうどう) |
参拝時間 | 8:00~16:30 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
電話番号 | 075-211-2770 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://kaudau.jp/ |
お守り | あり |
神仏霊場巡拝の道 | |
---|---|
西国三十三所霊場 | |
洛陽三十三所観音霊場 | |
都七福神 |
ご本尊 | 千手観世音菩薩 |
---|---|
山号 | 霊麀山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 寛弘元年(1004年) |
開山・開基 | 行円 |
文化財 | 本堂・鐘楼(市指定文化財) |
ご由緒 | 出家前の行円は猟師であったが、射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入ったと言い伝えられている。
|
体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り祭り札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0