じょうどいん|浄土宗知恩院派|清泰山
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浄土院について
毎年8月に行われる「五山の送り火」、右大文字の管理寺。
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慈照寺様の山門手前の浄土院様にお参りさせて頂きました。
浄土院様は浄土宗の御寺様です。
昔、「浄土寺」という天台宗の寺院がありました。
醍醐天皇の皇子 有明親王の后である藤原暁子が出家し、その子 明救が入寺されています。後白河院の后の丹後局の山荘があったり、近衛家との繋がりも深く門跡として多数の僧を受け入れています。広大な寺域を誇り隆盛を極めていました。
室町幕府第六代将軍 足利義視も門跡として入寺しています。が、兄で八代将軍 義政との確執で始まった応仁の乱で焼かれてしまいます。
その後、この地を気に入った義政が山荘を建てる為に浄土寺を相国寺様の隣に移転させてしまいます。
時が流れて義政が亡くなり、遺言で山荘を寺院にして墓所を作るようにと命じたのですが、比叡山は寺院の件は承諾しまたが墓所は許さず、相国寺様に作っています。
これは「浄土寺」の土地を取り上げられた恨み、比叡山からの痛烈な意趣返しですかねぇ(^^;)
1732年に泰誉浄久が僅かに残っていた浄土寺の草堂に入り、浄土宗の御寺様の寺院として再興されています。
歴史
清泰山と号する浄土宗知恩院派の寺院である。
この地には、もと、浄土寺と呼ばれた天台宗の寺院であったが、文明十四年(1482)、東山殿(後の銀閣寺)の造営に際し、相国寺(上京区)の西に移された。
当院は、その跡地に残された草堂を泰誉浄久が浄土宗の寺として復興し、浄土院と名付けたことによるといわれている。その後、享保十七年(1732)には、随誉により堂宇が再建あれ、今日に至っている。
本堂に安置する阿弥陀如来坐像は、等身大のもので、浄土寺にあった遺仏といわれている。
五山送り火の一つ「大文字」を儀式することから「大文字寺」と呼ばれ、毎年八月十六日の大文字の送り火には、精霊送りが行われ、多くの参拝者が賑わうとともに、山上の弘法大師前で、歴代住職による読経が行われる。
名称 | 浄土院 |
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読み方 | じょうどいん |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 075-771-5158 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
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山号 | 清泰山 |
宗旨・宗派 | 浄土宗知恩院派 |
ご由緒 | 清泰山と号する浄土宗知恩院派の寺院である。
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