じしょういん|臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭|梵王山
慈照院京都府 鞍馬口駅
通常非公開
京都市上京区にある相国寺の塔頭です。
相国寺にお参りしたので まだ巡っていなかった塔頭に足を運びました。
すぐ隣の慈雲院が特別公開していましたが こちらの慈照院は閉じられていました。
慈照院(じしょういん)は、京都市上京区にある臨済宗相国寺派の寺院です。
皇室ゆかりの建物もあり 茶室も有名ですので 次回の特別公開をチェックしてお参りしたいと思います。
慈照院は室町時代の応永年間(1405年頃) 相国寺の第十三世・在中中淹(ざいちゅうちゅうえん)により創建されました。
創建当初は「大徳院(だいとくいん)」という名前だったそうです。
1490年に足利八代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が亡くなった際に 本寺が義政の菩提所となりました。
その際 義政につけられた法号が「慈照院殿喜山道慶大禪定門」で この法号に習い お寺の名前が現在の「慈照院」となったそうです。
実は銀閣寺の正式名称「慈照寺」もこの法号からとったものです。
第七世住職・昕叔顕啅(きんしゅくけんたく)は 桂宮智仁親王(かつらのみやともひとしんのう)と特に親しい間柄であったため 慈照院は桂宮家の菩提寺にもなり 皇室とも縁の深い寺院となりました。
桂宮家は1629年に御学問所を境内に建築され その建物をお寺に下賜(寄付)しました。
その建物が現在「棲碧軒(せいへきけん)」と呼ばれる 書院です。
いやぁ見たかったです。
山門には柵
境内の様子 入りたい~
由緒書
由緒書(内容は違う)
桂宮西の墓地
桂宮東の墓地
地下鉄「今出川駅」下車徒歩5分。
臨済宗の総本山相国寺の塔頭寺院。ご本尊は十一面観世音菩薩です。
1405年の創建、元々は大徳院と名乗っていました。
1490年に足利8代将軍である足利義政の死後、位牌を移し、法号から慈照院と改称し、義政の菩提所となりました。
また江戸時代初期には、桂宮家の菩提所として境内に御学問所として下賜されました。
慈雲院の近く、相国寺の北の境外にあります。
初めてと思いきや、実は5年前の京都冬の旅で公開されていました。
その時の御朱印です。
① ご本尊の御朱印
② 足利義政公菩提寺の御朱印
③ 桂宮家の菩提所の御朱印
④ ユネスコの世界遺産に登録されたもの?
山門です。
広く行き届いた境内。
御朱印の整理をしていなかったら、記憶も忘れていたことでしょう。
名称 | 慈照院 |
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読み方 | じしょういん |
参拝時間 | 通常非公開 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-441-6060 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
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山号 | 梵王山 |
院号 | 慈照院 |
宗旨・宗派 | 臨済宗相国寺派本山相国寺塔頭 |
創建時代 | 室町時代の応永年間(1405年頃) |
開山・開基 | 相国寺の第十三世・在中中淹(ざいちゅうちゅうえん) |
ご由緒 | 応永12年(1405)前後、在中禅師(大本山相国寺住持第13世)の創建で、始め大徳院と称し、延徳2年(1490)足利義政の影堂となり、勅命により大徳院は慈照院と改号されました。義政の法号は「慈照院殿准三宮贈大相国一品喜山道慶大禅定門」で、その事は景徐周麟(けいじょしゅうりん)自筆の「大徳院改号記」に詳しく記されています。墓地は相国寺墓地に有ります。
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体験 | 御朱印 |
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