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ほうじいん|単立(元臨済宗相国寺派景愛寺塔頭)樹下山

寳慈院(宝慈院)
京都府 今出川駅

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ありません

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洛陽四十八願第13番

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年12月05日(金)3428投稿

京都市上京区にあるお寺です。
相国寺の西側の住宅街にあります。
白い土塀がきれいなお寺です。
道から少し奥まった所に山門がありますが 残念ながら柵があって中には入れませんでした。
山門から境内の様子を見たところ 正面奥に本堂があり その手前にお休み処のような場所がありました。
山門をくぐった所に手水があり ゆるやかにスロープが左に流れています。
土塀の上から背伸びして撮った写真では 境内はスロープからぐるっと回って広がっています。
スロープの土塀が目隠し塀になっているのですね。
お話が伺えず 御朱印もいただけませんでした。

ネット情報です。
尼門跡寺院の宝慈院は 千代野御所 千代野寺ともいわれた。
山号は樹下山という。
京都尼五山の一つ。
かつては臨済宗相国寺派に属し いまは禅宗(臨済宗)単立寺院になる。
本尊は阿弥陀如来坐像を安置している。 
創建の詳細 変遷は不明。
鎌倉時代 無外如大(むげ-にょだい)が洛北・松木嶋に営んだという資寿院の後身ともいう。
無外如大を開基として創建された。
当初は 樹下山資樹院と称したという。
大寺(大刹)を建立し 京都尼五山の筆頭・景愛寺(西五辻東町)と称したとも 景愛寺塔頭の一つ資樹院だったともいう。
当初は臨済宗相国寺派だった。
応仁・文明の乱(1467-1477)以後 景愛寺は廃絶した。
資樹院を整備し 宝慈院と改称したともいう。
景愛寺の本尊を遷したともいう。

寳慈院(宝慈院)(京都府)

山門には柵がありました

寳慈院(宝慈院)(京都府)

寺号標

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年07月09日(火)3428投稿

京都市上京区にある寺院です。相国寺のすぐ西側にあります。
山門に柵があり 境内に入ることは叶いませんでしたが とりあえず中の様子はうかがえます。
正面に土塀があり ぐるっと回ったところに東屋というか休憩所というか のんびりスペースがあります。奥には本堂らしき立派な建物が見えます。
これは境内に入ってお参りしたいものです。

宗旨は臨済宗 宗派は単立 ご本尊は阿弥陀如来です。
千代野御所とも称され 寺伝によると鎌倉時代に臨済宗の尼僧・無外如大(むげにょだい)が洛北松木嶋に資寿院を営み 樹下山資樹院(じゅげざんしじゅいん)と称したのが起源と言われています。
仁の乱の後 宝慈院と改められたようです。
その後 宝暦年間には皇女・王女・公卿の娘などが出家して 住持する比丘尼御所(びくにごしょ)に列せられ 1764年(明和元年)には摂政の命によって千代野御所の称が贈られ 紫衣も許されたと言われています。
これ以後当院の住持は 皇族あるいは公卿の女子と定まり 江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つとなりました。ということは門跡寺院の尼寺ということでしょうか。
収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は 寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれ 脇壇には仏光国師像と無外如大坐像(重要文化財)を安置されているそうなので これはぜひ拝顔したいものです。
特別拝観ないかなぁ。

寳慈院(宝慈院)(京都府)

山門には柵がありました

寳慈院(宝慈院)(京都府)

寺標

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寳慈院(宝慈院)の情報

住所京都府京都市上京区衣棚通寺ノ内上ル下木ノ下町171
行き方

寳慈院(宝慈院)の基本情報

名称寳慈院(宝慈院)
読み方ほうじいん
通称旧千代野御所
参拝時間

通常非公開

電話番号075-441-4636

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号樹下山
院号寳滋院
宗旨・宗派単立(元臨済宗相国寺派景愛寺塔頭)
ご由緒

宝慈院(ほうじいん)は、上京区衣棚通寺之内上ルにある元臨済宗の尼門跡寺院で、山号は樹下山。「千代野御所(ちよのごしょ)」と称されている。

鎌倉時代中期の弘安年間(1278年~1288年)、日本で最初に女性として禅僧となった無外如大禅尼(むげにょだいぜんに)が開山した景愛寺(けいあいじ)が西五辻東町にあり、その塔頭の一つとして「資樹院」が創建されたが、後に「宝慈院」と改名された。
 南北朝時代、宝鏡寺を創建した光厳天皇の皇女 華林恵厳尼(かりんえごんに)が住寺となって紫衣を許され、無外如大禅禅尼の幼名「千代野姫」に因んで「千代野御所(ちよのごしょ)」と号した。それ以降、宝慈院の住持は、皇族か公卿の女子と定まり、江戸時代には比丘尼御所(びくにごしょ)の一つに列した。
 本山の景愛寺は、足利氏の庇護を受けて、京都尼寺五山(景愛寺・檀林寺・護念寺・恵林寺・通玄寺)の第一位として繁栄したが、応仁の乱の後、衰退消滅して、宝慈院に寺宝が継承されている。

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