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ちくりんじ|真言宗智山派五台山(ごだいさん)

竹林寺
公式高知県 西高須駅

7:00~17:00(名勝庭園・宝物館拝観は8:30~17:00)

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

普通100台(無料、高知県立牧野植物園と併用)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八ヶ所霊場第31番札所

竹林寺について

神亀元年(七二四年)、土佐の国は浦戸湾に浮かぶ山上に法(のり)の灯火(ともしび)をともして以来、竹林寺は令和五年、開創千三百年を迎えます。

その長き歴史のなかで幾多の盛衰を重ねながらも、変わらぬものはただひとつ。
時代を生きる人びととともに歩み続けること。

人びととともに これまでも これからも

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sasaki3
sasaki3
2024年09月02日(月)
1214投稿

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
31番 竹林寺

竹林寺の御朱印

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
31番 竹林寺

竹林寺の建物その他

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
31番 竹林寺

竹林寺の山門

お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
31番 竹林寺

竹林寺の本殿

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31番 竹林寺

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年05月13日(月)
2013投稿

1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の6寺院目です。
逆巡りになっているのですが 32番札所禅師峰寺から車で15分ぐらいでしょうか。
すぐ近くには 牧野富太郎記念館や牧野植物園があり NHK朝ドラの影響もあって 道も混んでいましたし 駐車場は共通だったので 大渋滞でした。
お寺の境内に足を進めてびっくり とてもモダンな建物があったのです。
やばい! 歴史的な建物が残っていないってことはないよな!
(後で知ったのですが これは檀家の方たちの法事用の建物のようでした)
名勝庭園で有名な書院 納経所 宝物殿 鐘楼を通り過ぎ いよいよ仁王門。
ほっとしました 歴史を感じる建物はちゃんとありました。明治33年の再建だそうです。
階段を上がると 急に開けた境内になります。
聖天堂 本堂 大師堂 五重塔 どれも見事な建物でした。
内陣も拝見できたので大満足でした。
大師堂前には 独鈷もありました。私は独鈷がお気に入りです。
独鈷のついたお守りは 必ず拝受しています。
階段を上がった所に 狛犬がいます。神仏融合の名残でしょうか。
時間の都合で 書院の名勝庭園は諦めました。

山号は五臺山 院号は金色院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 寺格は触頭 ご本尊は文殊菩薩 創建年は(伝)724年 開基は(伝)行基です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あらはしゃのう
ご詠歌:南無文殊(もんじゅ)三世(みよ)の仏の母ときく 我(われ)も子なれば乳(ち)こそほしけれ
でした。

由緒については
神亀元年(724年)に 聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。
天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ この地が霊地であると感得し 栴檀の木に文殊菩薩像を刻み 山上に堂宇を建立して安置したという。
その後 大同年間(806 – 810年)に空海(弘法大師)が滞在 瑜伽行法を修法し 荒廃した堂塔を修復したと伝えられる。
実際の創建年代等について不詳である。
中世以降は武家の信仰も厚く寺運も隆盛し 1318年(文保2年)には臨済宗の僧夢窓疎石もこの寺に滞在している。
その後 寛永年間(1624年 – 1644年)空鏡によって再興された。
江戸時代には土佐国における真言宗の触頭を勤める寺院のひとつであった。
とありました。

竹林寺の周辺

牧野植物園入口

竹林寺の建物その他

とてもモダンな建物

竹林寺の建物その他

本坊 名勝庭園入口

竹林寺の建物その他

宝物館

竹林寺の歴史
竹林寺の建物その他

鐘楼

竹林寺の山門

仁王門

竹林寺の歴史
竹林寺の山門

扁額

竹林寺の像
竹林寺の像
竹林寺の山門

仁王門をくぐって

竹林寺の景色

木立が美しい

竹林寺の景色

本堂に行くには階段を上ります

竹林寺の末社

聖天堂

竹林寺の建物その他

授与品はとても多いです

竹林寺の手水

手水

竹林寺の手水

龍でしたが少し珍しい

竹林寺の本殿

本堂

竹林寺の本殿
竹林寺の本殿
竹林寺の本殿

内陣

竹林寺の体験その他
竹林寺の像

おかえる様

竹林寺の末社

大師堂

竹林寺の末社

内陣

竹林寺の体験その他

五鈷と御手綱

竹林寺の塔

五重塔

竹林寺の歴史

縁起

竹林寺の塔

昭和の再建とあって まだきれいです

竹林寺の地蔵

一言地蔵尊

竹林寺の仏像

虚空菩薩

竹林寺の仏像
竹林寺の歴史

竹本土佐太夫碑

竹林寺の狛犬

狛犬がいます なぜ?

竹林寺の狛犬
竹林寺の庭園

苔がきれいな庭

竹林寺の像

鹿の像

竹林寺の仏像
竹林寺の手水
竹林寺の自然

山ならではの岩

竹林寺の末社

虚空蔵堂

竹林寺の自然

書院

竹林寺の建物その他

書院入口

竹林寺の庭園

名勝ではない方の庭

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歴史

竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基により唐の五台山(現在の中国・山西省五台山)になぞらえ開創されました。

開創の縁起には、仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜、文殊菩薩の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました。これをたいそうお喜びになった帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
やがて土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています。

時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌、当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって、当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。

その後、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学山(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました。
今日、土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信・お馬の恋物語。その僧・純信も江戸時代末、当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした。

しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く、寺運は一時衰微しましたが、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました。
今日、み仏を拝す人々の参詣の香煙は絶えることなく、また、緑豊かな寺域は四季の自然の折々を楽しむ人々の憩いの場としても広く親しまれています。

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竹林寺の基本情報

住所高知県高知市五台山3577
行き方

高知駅からMY遊バスで26分、「竹林寺前」下車

30番 善楽寺より
(自家用車)約30分 約10km
(徒歩)約2時間 約7.5km
32番 禅師峰寺より
(自家用車)約20分 約8km
(徒歩)約1時間40分 約6km

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名称竹林寺
読み方ちくりんじ
参拝時間

7:00~17:00(名勝庭園・宝物館拝観は8:30~17:00)

参拝料

境内 無料 名勝庭園・宝物館 400円

トイレ駐車場、お守り授与所横
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号088-882-3085
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@chikurinji.com
ホームページhttp://www.chikurinji.com/
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巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊文殊菩薩
山号五台山(ごだいさん)
院号金色院(こんじきいん)
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代神亀元年(724)
開山・開基行基菩薩
本堂室町時代様式、一層入母屋、五間四方、杮葺き
文化財

本堂、書院、木造文殊菩薩及侍者像 5躯、木造釈迦如来坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造阿弥陀如来立像、木造薬師如来坐像、木造大日如来坐像、木造千手観音立像、木造十一面観音立像、木造勢至菩薩立像、木造白衣観音立像、木造馬頭観音立像、木造大威徳明王像、木造愛染明王坐像、木造多聞天・増長天立像(重要文化財)
庭園(名勝)
梵鐘、文殊菩薩坐像懸仏(県指定保護有形文化財)

ご由緒

竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基により唐の五台山(現在の中国・山西省五台山)になぞらえ開創されました。

開創の縁起には、仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜、文殊菩薩の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました。これをたいそうお喜びになった帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
やがて土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています。

時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌、当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって、当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。

その後、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学山(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました。
今日、土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信・お馬の恋物語。その僧・純信も江戸時代末、当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした。

しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く、寺運は一時衰微しましたが、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました。
今日、み仏を拝す人々の参詣の香煙は絶えることなく、また、緑豊かな寺域は四季の自然の折々を楽しむ人々の憩いの場としても広く親しまれています。

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