るりこうじ|曹洞宗|保寧山
瑠璃光寺山口県 上山口駅
資料館 午前9時〜午後5時
国宝五重塔が修復工事中、秘仏公開ということで、阿弥陀様参拝。
境内広々とした感じでとても開放的。
特別公開の阿弥陀様は普段は五重塔初層においでだそうで、改修中は本堂のお隣に遷座されていて間近で拝見できるようになっている。
資料館には全国の五重塔の写真が展示されていて、興味深い。中でもこちらの塔は檜皮葺ということもあるのか、優美にみえる。次回実物を拝見しに来ねば。
大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。
全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。
名称 | 瑠璃光寺 |
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読み方 | るりこうじ |
参拝時間 | 資料館 午前9時〜午後5時 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 083-922-2409 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
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山号 | 保寧山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 文明3年(1471年) |
文化財 | 五重塔(国宝)
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ご由緒 | 大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
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体験 | 国宝武将・サムライ |
概要 | 瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 香積寺[編集] 室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。また、後の天文9年(1540年)に建てられた仏殿は広島市の不動院に移築され、国宝に指定されている。 仁保瑠璃光寺[編集] 陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した。当初は安養寺と呼...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] JR西日本山口線山口駅より徒歩30分または車で5分 中国自動車道小郡ICより車で20分 山口市コミュニティバス大内ルート・香山公園五重塔前下車 |
引用元情報 | 「瑠璃光寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%91%A0%E7%92%83%E5%85%89%E5%AF%BA&oldid=98862920 |
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