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るりこうじ|曹洞宗保寧山

瑠璃光寺

山口県 上山口駅

資料館 午前9時〜午後5時

投稿する
083-922-2409

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

広い駐車場あり

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LeantLibra
2017年09月24日(日)
6投稿

曹洞宗保寧山(ほねいざん)瑠璃光寺。元々は大内氏の保護する寺でしたが大内氏滅亡後は毛利元就公の次男元春公の吉川氏がのちに保護しました。
庭園内には池があり、なんとスッポンまでいたそうで外来種駆除にやっきになっていると聞きました。国宝五重塔を含む地元有志による観光ガイドは無料なので是非聞いて見てください。この五重塔は、修繕はされているものの、空襲などで焼けずに国内に存在する現存する五重塔だそうです。
また、健康長寿を願う薬師如来が本尊ですので体の健康にまつわるものが置いてあります。
なで佛(賓頭廬尊者びんずるそんじゃ、悪い所を撫でると治る)、一畑薬師(眼病の仏さま)、身代わり地蔵、佛足石、知足の蹲い(つくばい、京都竜安寺にあるものと同じもの)などです。萩焼が販売してあるギャラリーもありました。
枕流亭という、西郷隆盛や小松帯刀ら維新志士に関連する建物も現存しており、小さな資料館になっています。
うぐいす張りの石畳みは、目印の上に立って石段上りに向かい手を叩くと小気味良い音に重ねて『キュ』という音が聞こえます。私は成功しました。お試しあれ。
また、毛利家ファンにおすすめしたいのが、此処に毛利敬親公を始めとする三代の墓所があること、現在東京在住の本家にある毛利同等の墓所があることです。東京は遠くて行けない!という人でもここで拝めば本家墓所を拝んだことになる、と観光ガイドの方に言われました。
ここまで大内氏、吉川氏、毛利家、幕末と挙げましたが、近場に雪舟の最期の地と言われる場所も存在するとの事です。さらに、ここは司馬遼太郎氏が小説『街道をゆく』執筆の為に元ネタの為の訪問された場所でもあるそうです。この件についてはファンの中では真偽定かではなかったそうですが、観光ガイドの方(なんと代表者でした)が皇太子徳仁様がご行幸にいらっしゃる際に聞かれると思い、事前に調べていたそうです。実際お尋ねになり、ガイドの方は誇らしかったとか。
とても楽しいお話しを聞けました。
他にも歩いて15分ほどに元就公を祭神として祭る豊栄神社、隣接する敬親公を祭神として祭る野田神社があります。是非訪れてみて下さい。

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歴史

大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。
全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。

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瑠璃光寺の基本情報

住所山口県山口市香山町7-1
行き方

中国JRバス 山口県庁前停留所 徒歩12分

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名称瑠璃光寺
読み方るりこうじ
参拝時間

資料館 午前9時〜午後5時

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号083-922-2409
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊薬師瑠璃光如来
山号保寧山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代文明3年(1471年)
文化財

五重塔(国宝)
萩藩主毛利家墓所(国の史跡)

ご由緒

大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。
全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。

体験国宝武将・サムライ

Wikipediaからの引用

概要
瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
歴史
歴史[編集] 香積寺[編集] 室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。また、後の天文9年(1540年)に建てられた仏殿は広島市の不動院に移築され、国宝に指定されている。 仁保瑠璃光寺[編集] 陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した。当初は安養寺と呼...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] JR西日本山口線山口駅より徒歩30分または車で5分 中国自動車道小郡ICより車で20分 山口市コミュニティバス大内ルート・香山公園五重塔前下車
引用元情報瑠璃光寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%91%A0%E7%92%83%E5%85%89%E5%AF%BA&oldid=93543414

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