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けいしゅうじあと|臨済宗

慶湫寺跡(廃寺)
群馬県 篠塚駅

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御朱印について御朱印
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慶湫寺跡(廃寺)について

夢窓疎石が創建し、永明寺の前身となった慶湫寺の跡地。
平安末期~戦国時代までの片岡城跡でもあり、現在は二本の土塁のみ残る。

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慶湫寺跡(廃寺)の基本情報

名称慶湫寺跡(廃寺)
読み方けいしゅうじあと
通称片岡城跡

詳細情報

ご本尊《本尊》なし
宗旨・宗派臨済宗
創建時代元弘元年(1331年)
開山・開基夢窓疎石
ご由緒

この地を中心に、北は大根村、南は寺中・諏訪原までの一帯を、古くは上野国邑楽郡佐貫荘片岡村と呼びました。
平安時代の末、板東平氏 平国繁が入部し片岡氏を名乗りました。二代経繁は平清盛に仕えていましたが、文治元年(1185年) 平家が滅亡すると土佐国(高知県)に渡って黒岩城主となりました。
経繁は建久五年(1194年) 故郷の片岡から妻子を呼び寄せました。しかし長男経俊と次男経政は亡き母の供養のために片岡に残り、三男経氏と二人の女の子が土佐へと渡りました。経氏は父の家督を継いで、土佐片岡氏の二代となり子孫が繁栄します。
鎌倉時代中期の文永二年(1265年) 新田一族の大島景継が中野に入部して中野城主となりました。この城下町作りをした時、片岡のほとんどの住民は元宿に移住させられました。
元弘元年(1331年) 夢窓疎石(夢窓国師)は、当地 久保山に慶湫寺を創建しました。
その後三年間、疎石はこの寺に居たといわれています。 その間、片岡氏が疎石をよく援助したので、疎石が上洛してからも弟子を下向させて寺を継がせました。
その後、慶湫寺は寛永元年(1624年) 中野間ノ田に移転再興して永明寺となりました。
戦国時代以降の片岡氏については明らかではありません。現在は南北に延びる土塁が往時を忍ばせてくれます。
(現地案内板より 一部編集)

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