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こうしょうじあと|真言宗宇津野山

光照寺跡
栃木県 葛生駅

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佐野板東三十三観音霊場 第三十二番
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光照寺跡について

廃寺跡。
勝道上人と弘法大師、二人の高僧に纏わる井戸伝説が伝わる。

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名称

光照寺跡

読み方

こうしょうじあと

詳細情報

ご本尊《本尊》不明
山号

宇津野山

宗旨・宗派真言宗
創建時代

神護景雲元年(767)

開山・開基

勝道上人

ご由緒

会沢コミュニティセンター(旧会沢小学校)にあった廃寺。北西約800mの宇津野洞窟前にある観音堂の本寺であった。
周辺には往時の石仏などが散在する。
神護景雲元年(767)日光開山の勝道上人により創建と伝わる。
明治六年(1873)十一月十九日 光照寺を仮校舎として会沢小学校が開校。
平成十六年(2004)三月二十四日 葛生小との統合により廃校。

【勝道上人と弘法大師】
勝道上人は、日光山を開山するまでに山から山へと何年も歩き修業していた。会沢の小曽戸村あたりに来て、金剛童子を祀ったり、瀧尾権現を祀ったり、井戸を掘ったりして修業したこともあったそうだ。
そしてここから出流山に行って修業し、ついに日光を開山した。
後世になって、井戸の南の平らな所を田んぼにするために掘り返したら、火を焚いて修業した跡が出てきたこともあったという。
勝道上人が小曽戸村で修業してから何十年か経った頃、一人の坊様がこの地を通りかかった。坊様は、歩いて喉が渇いたので、田中坪と西山坪で飲み水をもらったがとても不味くて全く飲むことができなかった。
仕方なくさらに歩き続け、杉野坪という所である家に立ち寄り水を請うた。
その家には井戸がなかったが、疲れた様子の坊様になんとか水を飲ませてやりたいと、勝道上人の掘った井戸まで急いで汲みに行き飲ませた。
坊様は水を飲み「美味い水じゃ。しかし少し時間がかかったようだが、どこの水か?」と尋ねた。
家人は、家には井戸が無く、いつももらい水をしていることを話した。
すると坊様は「遠くまで水をもらいに行ってくれたお礼に、水を出してあげましょう」と、持っていた杖で地面を突いた。すると不思議なことに水がこんこんと湧き出し、この家の周りでは水に困ることが無くなったという。
この坊様は、弘法大師だったと言い伝えられている。 また勝道上人の井戸も小さくはなったが今も残っているという。

体験札所・七福神巡り伝説
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