だいろくてんじんじゃ
大六天神社埼玉県 飯能駅
参拝自由
駐車場 | なし | ||
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御朱印 | - | ありません |
伝・畠山重忠のお墓がある「第六天神社」
入間川の北・埼玉r70飯能下名栗線より一本北側にある住宅街の中。県道沿いからは行けない。
駐車場なし。県道沿いは停めれないし時間貸しもないので住宅街のゴミステーションの前ら辺にちょっとだけ停めさせてもらった。
家と家の間の細い道に朱色の鳥居。すごいわかりにくい。
鳥居を潜って細い道を進むと正面に祠、裏に樫樹。木の裏に板石塔婆。
祠のカレンダーがちゃんと更新されている。第六天神社自体の由緒はなし。
板石塔婆は、伝説で、二俣川の戦いで討死した畠山重忠の遺骸を二俣川から秩父へ移す際「飯能の車返しの坂」に差し掛かると車が動かなくなった。従者は重忠の霊がそうさせたと判断し、ここに葬ったと伝えられる。
ここの他に、戦があった二俣川に首塚と、領地だった深谷の史跡公園に畠山重忠のお墓がある。
鳥居
祠
樫の木。市指定史跡
伝・畠山重忠の墓。指定史跡。
境内も狭い。
一応看板はあるけどわかりにくい。
名称 | 大六天神社 |
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読み方 | だいろくてんじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
ご祭神 | 第六天 |
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創建時代 | 創建不詳 |
文化財 | 本郷第六天板石塔婆二基と樫樹一本(市指定文化財) |
ご由緒 | 伝説では畠山重忠の遺骸を二俣川より秩父に移そうとして、「飯能の車返しの坂」に差し掛かった時、たまたま車が動かなくなったので、従者は重忠の霊がそうさせたのであろうと察し、ここに葬ったと伝えっれている。史実では重忠は郷土武人で、元久二年相州二俣川で討死し、その地に葬られているのでこの塔婆が「畠山重忠の墓」と言われているのは伝説であろう。 |
体験 | 有名人のお墓 |
概要 | 大六天(だいろくてん)は、埼玉県飯能市飯能にある小祠。宗教法人ではない。西側に市指定文化財(史跡)「本郷大六天青石塔婆と樫樹」がある。 |
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歴史 | 由緒[編集] 創建年不明。第六天(大六天)は、神道では面足命・惶根命(オモダル・アヤカシコネ)、仏教では他化自在天(第六天魔王)と呼ばれている。この神を民間に広めるのに修験道が関与したこと、修験根拠地の笹井観音堂や越生山本坊に近いことから、鎌倉から室町時代に創建されたと推測される[1]。江戸時代中期に広まった民間信仰であるとも言われる[2]。周囲の地名は小字大六天となっており、当社が信仰されてきたことが推測される[1]。社殿は昭和になってから建て替えられた[1]。 当社には「向かい天狗の絵馬」があり[3]、岩井宏實(民俗学者・帝塚山大学名誉教授)の著書に掲載されている[4]。 ^ a...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「大六天 (飯能市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E5%85%AD%E5%A4%A9%20%28%E9%A3%AF%E8%83%BD%E5%B8%82%29&oldid=101524515 |
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