とくがわけれいだい
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徳川家霊台は不動坂を下りてきた 宿坊が並んだ地域にありました。
宿坊南院の裏手 山を切り開いた場所にあります。
霊台は霊廟のことです。
受付をすませて 石段を上がると霊屋が2つあります。
向かって右側が家康公の霊屋。
向かって左側が秀忠公の霊屋。
家康公は神様「東照大権現」として祀られているので霊屋の前に鳥居があります。
秀忠公はそうではないので鳥居がありません。
ですが霊屋そのものはどちらも見事なもので 比べても遜色ありません。
まあ本当に見事な霊屋で 徳川家だけが特別だったことがよく分かります。
奥の院の大杉林に有名な武将の墓所がありますが 霊屋はありませんから。
古い切り株がいくつかあるのですが なぜかその上に石を積んでいます。
賽の河原のイメージでしょうか。
今までに参拝したことのある東照宮を思い出してみましたが 劣っているとは思いません。
日光東照宮には負けると思いますけれど。
ネット情報です。
徳川家霊台は かつては高野聖方の代表寺院であり 徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内に建つが 大徳院は明治時代に他寺院と合併して廃寺となり 現在霊台は高野山真言宗大本山の金剛峯寺に属する。
大徳院の前身は 徳川家の先祖にあたる松平家の菩提寺として 室町時代には蓮華院を名乗っていたが 1594年(文禄3年)に徳川家康が高野参詣した際に大徳院の名が与えられ 改称した。
霊屋は 秀忠の死の翌年に当たる1633年(寛永10年)に3代将軍家光によって造営が開始され 10年の歳月を費やして1643年(寛永20年)に落慶法要が行われた。
江戸時代には「おたまや」(御霊屋)と呼ばれていた。
霊屋(霊舎)は位牌堂であり 向かって右に家康霊屋 向かって左に秀忠霊屋の2棟が並び それぞれが透塀で囲まれ 正面に唐門がある。
家康霊屋前にのみ鳥居が建つのは 家康が東照大権現という神として祀られていることによる。
建築様式は禅宗様である。
2棟はほぼ同じ作りだが 家康霊屋の向拝の蟇股(かえるまた)には虎の彫刻 秀忠霊屋には兎の彫刻がある。
それらは家康が1543年(天文11年)の寅年生まれ 秀忠が1579年(天正7年)の卯年生まれであることにちなむ。
その虎の両脇には 王が仁政を行うと現れる霊獣とされる麒麟が彫刻され 家康を称えることを意味する。
また兎の両脇に虎が彫刻されているが これは秀忠が家康に見守られた正当な後継者であることを意味する。
霊屋の規模はそれほど大きくは無いが 完成まで10年もの歳月が費やされ 当時の装飾技法の粋を極めた近世初期の霊廟建築の代表例であり 規模こそ小さいが 1636年(寛永13年)に造替された日光東照宮に劣らない造形美であったといえる。
1742年(寛保2年) 1768年(明和5年) 1868年(元治元年) 1865年(慶応元年)に小修理が行われた。
明治になり一時荒廃し 唐門は明治末頃に解体され 別の場所に仮安置されていたが 1962年(昭和37年)に国の文化財保護委員会が霊屋の解体修理をした際に元に戻された。
境内の東端には3代家光以降の歴代将軍と徳川御三家の尊牌堂(位牌堂)があったが 1888年(明治21年)に焼失し 現在は礎石だけが残る。
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|徳川家霊台の基本情報
| 名称 | 徳川家霊台 |
|---|---|
| 読み方 | とくがわけれいだい |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 0736-56-2012 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#tokugawa |
詳細情報
| ご本尊 | 初代将軍 徳川家康 二代将軍 徳川秀忠 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | - |
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