あがたじんじゃ
縣神社千葉県 大網駅
9:00~16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 30台 |
カーナビに住所がなかったのですが、グーグルマップで駐車場が左手にある鳥居に到着しました。
自然が残る感じの長い参道を進むと、直角になる配置に鳥居が二つ。山道を上がってくるとここに着くようですが、どこから続いているのか不明です。
立派な御神木と本殿が印象的でした。
社務所は15時までのようです。
(御朱印第963号)
直書き
この鳥居は参道と直角になってます
結構険しい山道を登らないとここに着かない感じでした
本殿が立派です
御神木
ちょっと捻れていてカッコイイ
房總三國神社御朱印めぐり、縣神社を参拝しました。
大宮神社の駐車場から電話連絡、15時までなら御朱印対応可能とのことですぐに向かいました。
カーナビとGoogleマップ駆使したんですが一度曲がるところを通り過ぎたようでUターン、何とか到着しました。曲がってから駐車場までの道は結構細く、対向車が来なくてよかったです。
駐車場は一の鳥居の脇にあります。広いです。
鳥居をくぐり緑の参道を抜けていきます。お天気も良く最高に気持ちよかったです。
房總三國御朱印めぐり、やってよかったなあ、と心の底から思いました。なにここ、めちゃくちゃ心地いい!と思いました。まあ、天気が良かったというのも大きいとは思うんですけどね。実際、参道には何ヶ所も「枯枝落下注意」の看板がありました。
参拝後、社務所で房總三國の御朱印帳(2冊目)と御朱印をいただきました。
お書き入れで拝受しました。
深呼吸しながら歩きました。
思わず声が出ました。ステキ✨
本殿の彫刻
山頂に社が有りました。山頂近くの駐車場に停めれば、森の中の裏参道を歩いて近いです。二の鳥居の正面からは山を下る参道が続いているようですが、勾配がきつく、山登りの準備がないと難しそうです。昔は参拝のために皆んなが山を登ったのでしょうね。
オオヒルメ命と譽田別命が一緒に祀られるとは珍しい組み合わせ。天照がいると、厳かな雰囲気が漂うように感じます。
民家が近くになく静かな森の中でしたので、神職が居るか不安でしたが、社務所のベルを押してみると社務所に居ました。ありがたく直書きで頂戴しました。
拝殿と本殿の間で花が咲いてます♪
二の鳥居からの拝殿
裏参道の鳥居
二の鳥居は見えない
社務所
創建ははっきりしていませんが、成務天皇の時代に縣主(当時の地方長官)が奉祀した神社と伝えられています。
長亨2年(1488年)に酒井小太郎定隆が土気古城を再興した際に、鬼門除けとしてこの地に再建し、その後、酒井氏の守護神として崇められました。
酒井氏が第5代康治を以って滅んだあと、徳川氏の治領下に及んで、天正19年(1591年)、家康公から始まり代々の徳川氏より玉石の御朱印領を寄進された山武郡内唯一の神社です。
櫻町天皇時代の寛保元年(1741年)には、宮廷より幣帛(へいはく)を賜るほどの由緒ある神社でもあります。
文化13年(1816年)に野火により焼失しましたが、天保14年(1844年)に再建されました。
昭和53年(1978年)に、千葉県神社庁より規範神社として指定されています。
名称 | 縣神社 |
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読み方 | あがたじんじゃ |
参拝時間 | 9:00~16:00 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0475-72-2761 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 天照大御神 橘比賣命 譽田別命 |
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創建時代 | 不明(791~850年頃) |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 創建ははっきりしていませんが、成務天皇の時代に縣主(当時の地方長官)が奉祀した神社と伝えられています。 長亨2年(1488年)に酒井小太郎定隆が土気古城を再興した際に、鬼門除けとしてこの地に再建し、その後、酒井氏の守護神として崇められました。 酒井氏が第5代康治を以って滅んだあと、徳川氏の治領下に及んで、天正19年(1591年)、家康公から始まり代々の徳川氏より玉石の御朱印領を寄進された山武郡内唯一の神社です。 櫻町天皇時代の寛保元年(1741年)には、宮廷より幣帛(へいはく)を賜るほどの由緒ある神社でもあります。 文化13年(1816年)に野火により焼失しましたが、天保14年(1844年)に再建されました。 昭和53年(1978年)に、千葉県神社庁より規範神社として指定されています。 |
体験 | おみくじ御朱印お守り |
概要 | 縣神社(あがたじんじゃ)は、千葉県大網白里市(上総国山武郡)にある神社。旧社格は村社。 |
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歴史 | 由緒[編集] 当社は、創立年月は不明であるが、第13代成務天皇の代に、当時の地方官庁である縣主が奉仕した神社であると伝承されている。その後、長享2年(1488年)に酒井定隆が土気城を再建した際、鬼門除けとして北東方向の当地に建てられた。以後、酒井氏の守護神として崇め祀られた。 徳川氏の治領下に入ってからは、天正19年の徳川家康を始めとして、徳川氏代々より5石の御朱印領を寄進された山武郡内唯一の神社である。 文化13年、野火のため消失したが、天保14年に再建された。昭和53年には千葉県から規範神社に指定されている。 縣神社の大杉は大網白里市の天然記念物に指定されている。住所は大網白里市土気...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR外房線ほか 大網駅より季美の森行きバス 季美の森入口下車 徒歩6分 .mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-outpu...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「縣神社 (大網白里市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B8%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%A4%A7%E7%B6%B2%E7%99%BD%E9%87%8C%E5%B8%82%29&oldid=79838968 |
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