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たわじんじゃ

多和神社
香川県 原(高松)駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年06月10日(水)3567投稿

この参拝はGWです。
高野山での参拝を終えて まだGWのお休みが残っていましたので 四国に行きました。
香川県がもう少しで「青」(100投稿)にできるからです。
多和神社は香川県さぬき市にある神社です。
こちら多和神社は 以前から参拝予定の神社でしたが 道がよく分からず後回しになっていました。
カーナビの言う通りに車を走らせていたのですが 全然違う場所に案内されました。
山の裏側でした。
「なんじゃこれ」と文句を言い 今度は多和神社の駐車場をセット。
山をぐるっと回って行くのですが 今度はけっこう怖い思いをさせられました。
Googleマップでは分かりにくいのですが 小さい車が通れるぎりぎりの道で 左は壁 右は崖になっている上り坂を通らされました。
下りは見通し悪くなるでしょ。
「どうやって帰るねん」って文句言いながら車を進めました。
途中ですれ違った親子に 「この先に神社ってあります?」と尋ねますと 「うん この先にあるよー」男の子が元気に答えてくれましたので安心できました。
駐車場に車を停め ほっと一息。
坂を上がると参道でした。
一度鳥居まで戻り 写真を撮ってから隋神門をくぐりました。
隋神門の先 石段手前を工事されていました。
新しい土を入れて平らにならしていらっしゃいました。
宮司様かな?と思いながらご挨拶をしますと 「どちらから?」と聞いてくださいました。
「神戸からです」と答えますと 「遠くからご苦労さまです」と。
四国の寺社参拝すると 多くの場所で「どちらから」と尋ねられ 必ず「ご苦労さま」と言ってくださいます。
もちろん四国だけのことではないですが こういう言葉のやりとりってありがたいです。
私は膝に💣があるものの 上りは問題なし。
軽快に石段を上がっていったのですが 妻は腰に💣をもっていますのでゆっくり。
石段の途中にも境内社が複数。
祭神の分からない祠も複数。
拝殿の近くにも境内社が複数。
かなり多くの祭神を祀っていらっしゃいます。
写真を撮っているうちに妻が上がってきました。
仲良く参拝できました。
社務所もあったのですが無人でした。
下りに工事中の方に声をかけてみました。
すると工事をされているのが宮司様で ご自宅まで案内され そちらで御朱印をいただけました。
ありがたやありがたや。
宮司様に途中の道が怖かったことをお話しますと 安心して通れる道を教えてくださいました。
ありがたやありがたや。
こうして無事に次の神社に向かうことができました。

ネット情報です。
主祭神は速秋津姫命
社格は式内社論社(伝)讃岐国三宮 旧郷社
創建は不詳
別名は志度八幡宮
多和神社は 平安時代に書かれた延喜式神名帳に記載されている。
延喜式内社で 讃岐二十四社の一。
讃岐国三宮と伝える。
旧社格は郷社。
香川県さぬき市志度と 香川県さぬき市前山にある神社。
どちらが式内社か幕末より論争が行われ決着はついていない。
江戸時代の終わりまでは寒川郡前山村(現さぬき市前山)にある大田尾明神を多和神社とし祭っていたが明治の頃より 志度八幡宮が多和神社とされている。
創建時期は不詳である。
889年(寛平元年) 八幡神を祀り「八幡宮」と改称していたという。
志度寺に隣接しており 1479年(文明11年)に志度寺とともに焼失する。
1671年(寛文11年) 高松藩藩主松平頼重の手で志度寺が復興されると 神社も復興される。
この時 現在地に移転する(1623年(元和9年)現在地に遷座の説もあり)。
松岡調が研究のために各地から集めた典籍や事物が社内の「多和文庫(香木舎)」(重要文化財)として保管されている。

多和神社(香川県)

一の鳥居

多和神社(香川県)

文化財が多いようです

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歴史

 当社の創建は太古とありまして不詳ですが、社殿によりますと「神代のむかし、速秋津姫命が多和の郷に来たりまして、この水門は潮いと深くして我が心澄みと宣い、とどまり給う。去るに及んで土人大久支、子久支、古老に真澄の鏡を授け給いて、これを我が御魂と取り託して多和の水門を祓戸と定め、国人ここに集いて祓いせば、犯せる罪もおのずから失わせむ・また朝夕に沖行く五百船、千船を守らむと宣いき。ここにその御鏡を御霊代として多和大神と鎮めたましき。」とあり、祓いの神として現在に至っています。
 相殿については、寛平元年己酉(889)冬12月に大祝正六位讃岐朝臣春雄が神明の託宣によって前記六柱の神を勧請して多和八幡宮と称え、産土神として尊崇してきました。延喜式内社であり、元慶元年(877)には従五位のうえに叙せられました。当時の鎮座地は現在の志度寺の境内にありまして、社頭は志度寺伽藍とともに度々の荒廃があり、殊に戦国時代の文明十一年(1479)の兵火かかってからは小社でありましたが慶長十九年(1614)に当時の領主である生駒近矩により再興され、社頭も寄進されました。
 寛文十一年(1671)6月に当時の讃岐国高松藩主松平頼重が志度寺再興に際しまして。今の鎮座地に社殿を新営いたしまして遷宮されたのが現在の本殿であります。その後、明治にいたっては郷社讃岐三ノ宮として広くあがめられています。[境内由緒書きより引用]

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多和神社の基本情報

名称多和神社
読み方たわじんじゃ
通称三ノ宮
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号087-894-1169

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 速秋津姫命
《相殿神》
 大鞆和気命
 帯仲津彦命
 息長帯姫命
 天照大日売命
 大雀尊
 倭建尊
創建時代不詳
本殿一間社流造
ご由緒

 当社の創建は太古とありまして不詳ですが、社殿によりますと「神代のむかし、速秋津姫命が多和の郷に来たりまして、この水門は潮いと深くして我が心澄みと宣い、とどまり給う。去るに及んで土人大久支、子久支、古老に真澄の鏡を授け給いて、これを我が御魂と取り託して多和の水門を祓戸と定め、国人ここに集いて祓いせば、犯せる罪もおのずから失わせむ・また朝夕に沖行く五百船、千船を守らむと宣いき。ここにその御鏡を御霊代として多和大神と鎮めたましき。」とあり、祓いの神として現在に至っています。
 相殿については、寛平元年己酉(889)冬12月に大祝正六位讃岐朝臣春雄が神明の託宣によって前記六柱の神を勧請して多和八幡宮と称え、産土神として尊崇してきました。延喜式内社であり、元慶元年(877)には従五位のうえに叙せられました。当時の鎮座地は現在の志度寺の境内にありまして、社頭は志度寺伽藍とともに度々の荒廃があり、殊に戦国時代の文明十一年(1479)の兵火かかってからは小社でありましたが慶長十九年(1614)に当時の領主である生駒近矩により再興され、社頭も寄進されました。
 寛文十一年(1671)6月に当時の讃岐国高松藩主松平頼重が志度寺再興に際しまして。今の鎮座地に社殿を新営いたしまして遷宮されたのが現在の本殿であります。その後、明治にいたっては郷社讃岐三ノ宮として広くあがめられています。[境内由緒書きより引用]

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