うえのだいぶつ|天台宗
上野大佛東京都 京成上野駅
御朱印は、金、土、日の10:00~12:00、12:30~15:00
何度も被災して再建されるも戦争時軍需金属資源として顔面部を残し供出され、顔面部のみ寛永寺に保管されていたものがレリーフとして安置されています。
聞いたことはあっても見たことがなく、国立科学博物館から不忍池に向かう途中で幟を見つけたので寄ってみました。大仏さまのお顔をこんなに近くで見たのは初めてでありがたい気持ちになりました。
名称 | 上野大佛 |
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読み方 | うえのだいぶつ |
参拝時間 | 御朱印は、金、土、日の10:00~12:00、12:30~15:00 |
参拝にかかる時間 | 10分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3821-4749 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
絵馬 | あり |
ご本尊 | 釈迦如来坐像(顔面部) |
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宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 寛永八年(1631) |
概要 | 上野大仏(うえのだいぶつ)は、東京都台東区上野恩賜公園内で顔だけが現存し、公開されている大仏。所在地は上野精養軒に隣接する大仏山という丘の上で、薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設されている。 元々は江戸時代初期に建立され、幕末までにも火災や地震に度々遭い、1923年(大正12年)の関東大震災で頭部が落下するまでは像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。震災後、頭部と胴体は再建に備えて上野寛永寺に保管されていたが、顔面部を除いて第二次世界大戦中の金属供出で持ち去られた。 胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で2000年代前半頃から受験生らが祈願するようになり、「合格大仏」と呼ばれている。 |
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歴史 | 沿革[編集] 寛永8年(1631年):越後村上藩主堀直寄が[1]戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立。粘土の表面を漆喰で固めていた[1]。当時の大仏は『江戸図屏風』に露座で描かれている。 正保4年(1647年):正保相模の地震により倒壊[1]。 慶安2年(1649年):慶安川越地震により、頭部が落下[2] 万治年間(1658年 - 1661年):遊行僧浄雲が金銅像として再興。再興は明暦年間(1655年 - 1658年)説がある。再建された大仏は、高さ約6.6メートルの青銅製だった[1]。 元禄11年(1698年):寛永寺住職の公弁法親王が、露座であった大仏に仏殿(覆堂)を建立[1]。...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「上野大仏」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%A4%A7%E4%BB%8F&oldid=97633471 |
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