ほうじょういなりじんじゃ
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ご由緒によると、倉稲魂命、大宮姫命、大己貴命、保食神、大田命を祀って『稲荷五社明神』と崇め、北条氏康の勧請と伝わります。
一説に、小田原城総構の東南の出入り口脇にあることから、城の東方にあった山王曲輪の鎮護として祀られたのではないかとも云われています。
また「北條五代記」「北條盛衰記」には、当社の起源と思われる逸話が語られています。元亀元年(1570)3代氏康が、城内にいた老狐の悪霊を和歌により祓い清めたことにより、老狐は死んでしまいました。
翌年、氏康は逝去しましたが、"これは老狐の霊によるものだ"と考えた4代氏政は、狐が死んでいた所に社を建て供養したといいます。そして後に、同じく城内に祀られていた蛙石明神とともに現在地に移したと伝わっています。
明治時代に松原神社に合祀されましたが、同45年に復祀され現在に至っています。








末社『牛頭天王・疫神』
天正中の勧請と伝わる。

『神社復興記念碑』

『蛙石明神』
北條氏康より寄附の石。蛙の姿に似ていたことから命名された。


どの角度で撮っても影が入ってしまい写真だとわかりにくいかもですが、本当に蛙の形でしたよ🐸
境内・文化財
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| 名称 | 北條稲荷神社 |
|---|---|
| 読み方 | ほうじょういなりじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 倉稲魂命 大宮姫命 大己貴命 保食神 大田命 |
|---|---|
| 創始者 | 北条氏康 |
| ご由緒 | 新編相模風土記稿には、三代氏康が当社を現在地に勧請したと云うが一説に、小田原城総構の東南出入口(旧山王口)脇にあることから、城の東方にあった山王曲輪の鎮護の社として祀られたのではないかとも云われている。
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