こはたじんじゃ
許波多神社(小幡東中鎮座)京都府 木幡(JR)駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | - |
小幡浄明寺跡地を見学(と言っても碑と案内看板のみでした)後、小幡の許波多神社へ。なんかややこしいですが黄檗駅近くにも許波多神社があり、こちらはその分霊を祀っていると黄檗の許波多神社の奥様よりお伺いしました。主祭神はどちらも天忍穂耳尊ですがこちらは田中神社を合祀したため天照大御神と天津日子根命も御祭神となっておるようです。境内には大海人皇子が腰掛けて休憩したというお休み石があり「腰掛けて願えば勝ち運が授かる」とありました・・・座ってええんや😅恐れ多いからやめときましたけど🤣また境内には宇治陵があり、藤原基経の墓と言われているとのことです。
月次祭にお参りして御朱印を頂いてきました。
4月にお参りに行った時に
1日と15日は御朱印がもらえるって知ったので
雨が降りそうなお天気でしたが、時間がとれたので行って来ました。
宮司さんや氏子さん達数名がおられました。
御守りや絵馬、おみくじがありました。
勝運が授かるお休み石に今回も座ってきました。
お休み石にのぼり旗があったのですが、写真を撮り忘れたので新しく配布されているリーフレットを写真に撮りました。「克運」初めて見たような気がします。
なので『「勝運」はよくあるけれど「克運」は珍しいですね』とお聞きしたら『「克運」は己に勝つ』ことだと教えて頂きました。思わず「克運」の御守りを買って帰ろうかと思いました。でも 御守りもたくさん持っているのでやめました。
写真は撮ってないのですが
昔からある神輿も見れました。歴史を感じました。
克運ののぼり旗(新版リーフレットより)
山城国宇治郡の「許波多神社」の論社です。
もう1つある許波多神社が社殿が朱だったのに対し、こちらの社殿は黒塗りです。
《鳥居》
《社号碑》
《表参道》
《二の鳥居》
《外拝殿》
《手水舎》
《拝殿》
《末社》
《御神木》
《社務所》
社務所が開いているときは職員さんがおるので御朱印をいただけます。
《宇治陵第36号墳墓》
藤原基経の墓だそうです。
飛鳥時代、645年、第35代・皇極天皇の夢告、「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」を受け、中臣鎌足が命じられ、木幡荘、山背国兎道郡許畑柳山に神殿を造営したという。現在地の北西、東宇治(伏見区桃山南口)の許波多(木幡、許の国)に祀られたため、許波多神社、また木幡神社と号したともいう。
671年、壬申の乱(672)を前に、大海人皇子が大津宮から吉野に向かう際に、皇子は社頭に柳の枝を挿し「我に天位を践まば、この柳、芽を出すべし」と戦勝を祈願したという。
応保年間(1161-1163)に、柳山から、現在地に分祀されたと伝えられる。
明治41年(1908年)[10]に旧河原村の田中神社を合祀したため、同社の祭神であった天照大御神、天津日子根命も祭神としている。
名称 | 許波多神社(小幡東中鎮座) |
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読み方 | こはたじんじゃ |
通称 | 柳大明神 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0774-32-0482 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主祭神》 正哉吾勝々速日天忍穂耳(まさかあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと) 《相殿神》 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 天津日子根命(あまつひこねのみこと) |
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創建時代 | 応保年間(1161-1163) |
本殿 | 一間社流造 |
ご由緒 | 飛鳥時代、645年、第35代・皇極天皇の夢告、「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」を受け、中臣鎌足が命じられ、木幡荘、山背国兎道郡許畑柳山に神殿を造営したという。現在地の北西、東宇治(伏見区桃山南口)の許波多(木幡、許の国)に祀られたため、許波多神社、また木幡神社と号したともいう。
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体験 | 祈祷お宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り |
概要 | 許波多神社(こはたじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社である。式内社(名神大社)「許波多神社」の比定社である。宇治市内には許波多神社という名前の神社が木幡と五ヶ庄の隣接する2つの地区にあり、それぞれに社伝を伝える。旧社格はどちらも郷社。旧称柳大明神。 延喜式神名帳では名神大社に列する。大海人皇子(後の天武天皇)や坂上田村麻呂が戦勝を祈願したと伝えられ、勝運を授かる神社として信仰されている。どちらの許波多神社も天忍穂耳命が祭神である。式内社で天忍穂耳命を祭神とする神社は許波多神社だけであることから、鎌倉時代の『釈日本紀』には「許波多神社に座す神は宗廟の神として、他と異にして尊崇すべきである」と記されている。永禄12年(1569年)には最高位の正一位の神階を受けた。戦後、どちらも神社本庁に加盟せず神社本教に加盟している。 戦国時代、戦火により社殿のほとんどを焼失し、古伝も失われた。 |
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引用元情報 | 「許波多神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A8%B1%E6%B3%A2%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=95085458 |
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