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ほんもくじんじゃ

本牧神社
神奈川県 山手駅

参拝:24時間
授与所:9:00~17:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり/30台

その他の巡礼の情報

横濱開港神社巡り

本牧神社について

お馬流しで知られる本牧総鎮守


「お馬流し」は当社の例祭に際して斎行されている特殊神事で、永禄9年(1566年)に初めて行われてから450年余の歴史を有し、神奈川県から無形民俗文化財の指定も受けています。
この神事は、境内の茅場で育成された茅で奉製した馬首亀体の「お馬」に町中のあらゆる災厄を託して大海原遥かに払い下げやるもので、神様のお力を戴いて地域全体が清らかな姿に立ち返り平穏な生活を送ることができるように祈る、厳粛な中にも明るさと力強さを秘めたまつりで「ハマの奇祭」とも称されています。
境内にはお馬流し展示館があり、社務所にて声を掛ければ無料で拝観できます。

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Gorilla-King
Gorilla-King
2020年08月07日(金)
449投稿

横浜開港神社巡り 本牧神社

本牧の閑静な街にある神社で、参拝した当日はお馬流しがちょうど終わった後でした。

本牧神社の建物その他

社号標

本牧神社の鳥居

鳥居

本牧神社の建物その他
本牧神社の手水

手水舎

本牧神社の末社

本牧水天宮    本牧天神社

本牧神社の末社

稲荷社

本牧神社の末社

熊野速玉社

本牧神社の建物その他
本牧神社の狛犬

狛犬さま

本牧神社の狛犬

狛犬さま

本牧神社の本殿

拝殿

本牧神社の庭園

お馬の茅場

本牧神社のお祭り

参拝した当日神事『お馬流し』が催行されていたそうです
お馬さまは、旧本牧六ヶ村(間門、牛込、原、宮原、箕輪、台)に因み計六体が奉製されます。もともとは六ヶ村それぞれで調えていたものと考えられますが、いつの頃からか六体全てを「やぶ」の屋号を持つ羽鳥家の当主が奉製する習いとなりました。七月下旬、神社境内の茅場にて神職と氏子が祓いを重ねて育成した茅を刈り取り、「やぶ」の当主自身が斎戒沐浴し一週間かけて作り上げます。
 このお馬さまにあらゆる厄災を託して本牧の沖合い数キロの海上に流し去るのがこの神事の趣旨です。一旦放流したお馬さまが陸地へ還着することを極度に恐れるため、潮の干満を重視します。このため祭日は旧暦6月15日大潮の日に決まっていましたが、明治に太陽暦が採用されてからは8月第一か第二日曜日の何れかが充てられ、毎年一定しません。

本牧神社の周辺
本牧神社の建物その他
本牧神社の鳥居

本牧山頂公園入口

本牧神社の周辺

階段を登って行きます

本牧神社の景色
本牧神社の景色

山頂公園から横浜市内

本牧神社の景色

海側の眺望

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例祭・神事

8月上旬 お馬流し

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歴史

本牧神社は、旧くは「本牧十二天社」と称し、本牧岬の先端の出島に鎮座し、境内は玉樟を始めとする巨古木が蒼然と杜をなし、鳥居際には波が打ち寄せる風光明媚な社でした。その様子は、江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれています。
 御創建は、建久3年(1192年)源頼朝公が鎌倉に幕府を開くに当たり、幕府鬼門の守護として平安期から奉祀されていた社殿に朱塗の厨子を奉納したとも、また弘長3年(1263年)の元朝、里人が海中より輝く大日霊女命(=天照大神)の像を拾い上げ、社を設け村の総鎮守としたとも伝えられるなど、幾つかの説があります。
 往古より朝野の崇敬篤く、鎌倉時代には将軍より、室町時代には関東管領より社領の寄進があり、徳川家康公の江戸入府以降は、徳川将軍家からも代々社領寄進の御朱印が下されていました。神仏習合の時代には、本地垂迹また仏説により護法の「十二天」を神前に祀っており、これが江戸末までの社名「十二天社」の謂れとなっています。
 明治以降は、神仏分離令により「本牧神社」と称し、政府の政策により村内の各神社を合祀。本牧一帯の総鎮守として村社に列せられ、公から幣帛供進使参向の指定も受けていました。
 昭和20年(1945年)5月の横浜大空襲では氏子町とともに大きな被害を受け、翌21年からは進駐軍の接収により創建以来の社地を奪われ、以後47年間仮遷座を余儀なくされました。
 接収解除、境内地の換地返還、氏子崇敬者の赤誠を結集した新社殿の竣功を受けて、平成5年10月23日現鎮座地への本殿遷座祭が斎行され、今日に至っています。

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本牧神社の基本情報

住所神奈川県神奈川県横浜市中区本牧和田19
行き方

■JR根岸線根岸駅よりバス10分、バス停「三の谷」下車徒歩3分   

■みなとみらい線元町中華街駅よりバス15分、バス停「三の谷」下車徒歩3分

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名称本牧神社
読み方ほんもくじんじゃ
通称本牧十二天
参拝時間

参拝:24時間
授与所:9:00~17:00

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号045-621-7611
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスshamusho@honmoku.or.jp
ホームページhttp://www.honmoku.or.jp/index.html
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》大日靈女命
《相》須佐能男命、大山津見命、木花咲耶姫命、八幡大神、八王子大明神
創建時代1192年(建久2年)
創始者源頼朝
本殿流権現造
ご由緒

本牧神社は、旧くは「本牧十二天社」と称し、本牧岬の先端の出島に鎮座し、境内は玉樟を始めとする巨古木が蒼然と杜をなし、鳥居際には波が打ち寄せる風光明媚な社でした。その様子は、江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれています。
 御創建は、建久3年(1192年)源頼朝公が鎌倉に幕府を開くに当たり、幕府鬼門の守護として平安期から奉祀されていた社殿に朱塗の厨子を奉納したとも、また弘長3年(1263年)の元朝、里人が海中より輝く大日霊女命(=天照大神)の像を拾い上げ、社を設け村の総鎮守としたとも伝えられるなど、幾つかの説があります。
 往古より朝野の崇敬篤く、鎌倉時代には将軍より、室町時代には関東管領より社領の寄進があり、徳川家康公の江戸入府以降は、徳川将軍家からも代々社領寄進の御朱印が下されていました。神仏習合の時代には、本地垂迹また仏説により護法の「十二天」を神前に祀っており、これが江戸末までの社名「十二天社」の謂れとなっています。
 明治以降は、神仏分離令により「本牧神社」と称し、政府の政策により村内の各神社を合祀。本牧一帯の総鎮守として村社に列せられ、公から幣帛供進使参向の指定も受けていました。
 昭和20年(1945年)5月の横浜大空襲では氏子町とともに大きな被害を受け、翌21年からは進駐軍の接収により創建以来の社地を奪われ、以後47年間仮遷座を余儀なくされました。
 接収解除、境内地の換地返還、氏子崇敬者の赤誠を結集した新社殿の竣功を受けて、平成5年10月23日現鎮座地への本殿遷座祭が斎行され、今日に至っています。

体験札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
本牧神社(ほんもくじんじゃ)は、神奈川県横浜市中区に所在する神社である。同区本牧地域の総鎮守。 旧称、本牧十二天社。旧社格は村社。例祭の翌日に行われる神事であるお馬流しは神奈川県指定民俗文化財に指定されている。
引用元情報本牧神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%AC%E7%89%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101652157
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