ろくじょうはちまんぐう
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
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995年周防国の僧・基燈が宝殿を建てたのが創建と伝わる。
1123年丹生山田庄の領主・六條判官源為義が京の六條左女牛井に祀った左女牛八幡大神を勧請し合祀し若宮八幡宮を再造した。
神仏習合の名残で境内に三重塔と薬師堂が残る。
1466年建立の三重塔は重文指定されている。
拝殿
拝殿
本殿
薬師堂
三重塔
三重塔
三重塔
三重塔
三重塔
山王神社・大歳神社
稲荷神社・住吉神社
御祭神は応神天皇ということで、神功皇后に関係する神社となります。
神功皇后が三韓征伐(新羅征伐)に向かう途中、丹生都比売命の御神託により「我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪を以て出陣すれば勝利疑いなし」とのことから、この地で行宮を営んだ所だったそうです。
その後、長徳元年(995年)に弘法大師の弟子である基燈法師が立ち寄った際、黒木の宝殿一宇(若宮八幡宮)を建立。
さらに保安4年(1123年)、六條判官源為義が丹生山田庄の領主のときに、京の左女牛八幡大神を勧請合祀し、古の若宮八幡宮を再造。
これにより御神威が増し多くの人の崇敬を集めたため、為義の称号をとって六條八幡宮となったそうです。
この源為義は、源頼朝や義経の祖父になります。
六條八幡宮には、神宮寺として円融寺というお寺があったそうですが明治初年に廃寺となりました。
その名残として、境内には三重塔や薬師堂が残されています。
ちなみに全国で国指定重要文化財の三重塔は56基、そのうちの全国の神社にある塔は16基。
兵庫県内には3基とのこと。
ここ六條八幡宮と、名草神社? あと一つは・・・柏原八幡宮?
柏原八幡宮の三重塔もとても立派だったけど、兵庫県指定だったような。
名草神社は行ってみたいけど、ちょっと遠いかな。
ご近所の方のウォーキングコースなのか、身軽な格好でお参りしてはすぐにまた歩いていかれたり、年配の方は舞台にもたれかかって休憩されたりしていました。
地元の方の生活の一部に溶け込んでいる神社なんでしょうね。
拝殿
拝殿内
本殿
三重塔(重文)
本殿東側の末社
本殿西側の末社
大銀杏
手水舎
薬師堂
舞台
御朱印
2月に続いて2回めの参拝です。前回は宮司さんがご不在で、いただけなかったご朱印をいただきました。桜が満開でした。市民の木の大イチョウは新芽が芽吹いています。地元の方が秋には黄金色に紅葉するので、また見に来て下さいとのことでした。絶対に行こうと思います。
桜が満開です。
拝殿内部です。
三重塔の廻りも満開です。
三重塔です。色が悪かったので少し加工しました。
北区にはたくさん農村歌舞伎舞台があるのですが、ここは能舞台です。
山田小学校が見えます。北区は六甲山系の北側で、神戸市の面積の4割あまりを占めています。港町KOBEとは違う、山の神戸の魅力いっぱいの地区です。遠い昔から有馬方面を通じて都との往来は盛んでした。西国街道のバイパスとして、三木、姫路方面ともつながりがあり、参勤交代で、大名行列も通ったそうです。淡河町には本陣もあります。
歴史
摂津丹生山田六條八幡宮の縁起によれば、古くは若宮八幡宮と称せられ、昔、神功皇后紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門に御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮を営み給う所なりと伝えられている。後、人皇六十代一條院の御代に周防國大嶋郡の基燈法師がこの地に来て、長徳元年(995)5月、黒木の寳殿一字を建立し、八幡三所の神霊を勧請した。更に、人皇七十四代鳥羽院の御代保安4年4月、六條判官源爲義がこの山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六條左女牛の八幡大神を京より勧請合祀し、いにしえよりの八幡宮を再造した。これよりふたたび神徳あらわれて多くの人が崇敬し、爲義の称号をとって六條八幡宮と申奉るようになった。尚、室町期における神仏混淆の名残りで、今も境内に三重塔があり、重要文化財の指定をうけている。
名称 | 六條八幡宮 |
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読み方 | ろくじょうはちまんぐう |
通称 | 六條八幡神社 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 078-581-2187 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://rokujouhachimanguu.server-shared.com |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇 |
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創建時代 | 長徳元年(995) |
創始者 | 基燈法師 |
本殿 | 三間社流造銅板葺 |
文化財 | 三重塔(国指定重要文化財)
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ご由緒 | 摂津丹生山田六條八幡宮の縁起によれば、古くは若宮八幡宮と称せられ、昔、神功皇后紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門に御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮を営み給う所なりと伝えられている。後、人皇六十代一條院の御代に周防國大嶋郡の基燈法師がこの地に来て、長徳元年(995)5月、黒木の寳殿一字を建立し、八幡三所の神霊を勧請した。更に、人皇七十四代鳥羽院の御代保安4年4月、六條判官源爲義がこの山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六條左女牛の八幡大神を京より勧請合祀し、いにしえよりの八幡宮を再造した。これよりふたたび神徳あらわれて多くの人が崇敬し、爲義の称号をとって六條八幡宮と申奉るようになった。尚、室町期における神仏混淆の名残りで、今も境内に三重塔があり、重要文化財の指定をうけている。 |
体験 | 七五三重要文化財 |
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