ゆうばりじんじゃ
夕張神社北海道 夕張駅
授与所:9:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | なし |
続いて夕張神社に向かいました。
記録を見てみると、夕張神社に前回参詣したのは令和元年8月のことでした。
およそ5年ぶりの参詣となります。
そんなにご無沙汰していたとは思いませんでした。
社務所前まで車で上がっていく道もあるようですが、行き止まりになっている旧道に車を停めて歩いて石段を上りました。
石段の途中には狛犬が一組ありました。
台座を見ると、大正9年5月に建立されたようです。
石段を上りきると、目の前に拝殿があります。
その手前には、一組の狛犬がありました。
こちらの台座には平成13年11月に建立されたと記されていました。
拝殿にかかっている神額は、東郷平八郎元帥の直筆によるものです。
また拝殿内にも東郷元帥直筆の書が掲げられています。
拝殿でお参りをしていると、拝殿の中には人の姿がないというのに、中から柏手が聞こえるような気がします。
空耳かもしれませんが、なんだか最近はこのようなことが増えています。
お参りをした後は社務所に回り、御朱印をお願いしました。
御朱印を待つ間に奥様と少しお話をしましたが、夕張メロンを買うならとおすすめのお店を教えていただきました。
御朱印を受け取って夕張神社を辞しましたが、勧められたお店に寄ってみると、安くて美味しそうな夕張メロンがあります。
思わず勢いでひとつ買ってしまいました。
【北海道 古社巡り】
夕張神社(ゆうばり~)は、北海道夕張市住初にある神社。旧社格は郷社。祭神は大山津見神、大國主神、鹿屋野比賣神、菅原道真公の4柱。
1889年に北海道炭鉱鐡道株式会社の設立とともに、夕張炭山と鉄道敷設の安全祈願の神社として登川村夕張炭山字社光に神殿を築造したのが始まり。1894年に北炭社長・高島嘉右衛門が炭鉱の鬼門にあたる現在地に社殿を設け、伊予一之宮・大山祇神社と出雲大社の分霊を勧請し奉斎し、「登川神社」として創建した。
1922年に火災で社殿等を焼失、翌年再建して「夕張神社」と改称した。この時、日本海軍・東郷平八郎元帥が自筆の神額を奉納している。1934年に郷社に昇格した。戦後、1946年に太宰府天満宮より、菅原道真公を分祀している。
当社は、JR室蘭本線・由仁駅の東北東13km、道のり24kmの、夕張市街北部の山あいにある。幹線道路である道道38号線に面しているが、昔はこの道の向かい側に鉄道の夕張駅(初代)があった。現在夕張市役所がある近くに夕張駅(二代目)があったが、現在は廃線となって使われていない。境内は境目が分からないが、入口と階段があって社殿周りというシンプルな構成。入口からは小丘全体が境内のように見え、境内からは夕張炭鉱と繋がる山々を見渡せるようになっている。たまたまかもしれないが、町全体は人の気配がなく寂しい感じがするが、当社参拝中には、初老の夫婦や、初宮参りと思しき赤ちゃん連れ若夫婦が訪れていて、地元で大事にされている感じがした。
今回は、北海道の旧郷社ということ参拝することに。参拝時は休日の午後遅めの時間で、自分以外にも数組参拝者を見掛けた。
境内南東端入口の<鳥居>と<社号標>。山全体が神社のように見える。
入口から振り返った景色。写真の左方向に夕張炭鉱があったようで、現在は「石炭の歴史村」という観光施設がある。
鳥居をくぐる。参道両側に赤い燈籠が階段上まで続き、その外側には古い石燈籠が並ぶ。
いよいよ階段を登る。左側には<夕張神社 御創立百年記念碑>がある。
階段の途中左側にある<狛犬>。黒い石材、太い尻尾、身体の風車模様と、北海道の歴史ある狛犬の特徴をすべて備えている。
右側にある<狛犬>。一つ一つ見た目が個性的で異なっているのがいい。(o^―^o)
左側の狛犬の、さらに左側にある<馬頭観世音>の石碑。
明治以降の創建なのに、神仏混淆の香りがするのは興味深い。
さらに階段を登ると、徐々に社殿が見えてくる。
階段を登り切ったところ左側にある<狛犬>。最近のものみたい。
右側にある<狛犬>。
右側の狛犬の後ろにある<手水舎>。
<拝殿>全景。向拝が大きい。大きな扁額は、日本海軍・東郷平八郎元帥の筆。
<拝殿>内部。年季が入っていて重厚な趣がある。
奥まっていて見えにくいが、屋根だけが見える拝殿後ろの<本殿>。
社殿の右側にある<神輿殿>。
斜めから<社殿>全景。
拝殿の左手にある<社務所>。宮司さんと、「前々からぜひ来てみたかった」思いなどについてお話をしたところ、「清めの塩」を頂戴した。(o^―^o)
境内から夕張炭鉱の方向を望む。見えるのは「石炭の歴史村」かな。
(新千歳空港からのフライトの都合上、歴史村の参観はできず...(^_^;))
帰りに階段の上から下を覗いてみる。お宮参りの赤ちゃん連れ夫婦が登って来ていた。(o^―^o)
最後に<社殿>全景。明治以降150年、激動の夕張の歴史を丘の上から見守り続けてきた神の社。(^▽^)/
名称 | 夕張神社 |
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読み方 | ゆうばりじんじゃ |
参拝時間 | 授与所:9:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 01235-2-2339 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/05/05001.html |
ご祭神 | 大山津見神,大國主神,鹿屋野比賣神,菅原道真公 |
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創建時代 | 1889年(明治22年) |
本殿 | 神明造 |
文化財 | ・社名額(市指定・「東郷平八郎直筆の書」昭和4年~9年)
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ご由緒 | 明治22年11月18日、北海道炭鉱鉄道株式会社の設立と共に、夕張炭山並び鉄道敷設の安泰祈願の神社として、登川村夕張炭山字社光に神殿を築造せられたことが発祥となり、井上角五郎により伊予一の宮大山祇神社並に島根県出雲大社の御分霊の御奉遷を願い奉斎した。これが御創立の由来で、同会社社長高島嘉衛門の意志により、社光より現在地に神地を求め移転し登川神社と称号。大正11年社殿・社務所外一切を類焼し翌年再建とともに夕張神社と改称した。昭和4年村社、同9年郷社に昇格。この間、軍艦夕張の守護神として神霊を艦内に奉斎すると共に日本海大海戦以降本神社と因縁浅からぬ海軍元帥東郷平八郎閣下より自筆の御神額が奉納された。昭和38年本宗大山祇神社、昭和42年出雲大社より各御神宝が与えられ、昭和46年太宰府天満宮より文祖菅原道真公の御神霊奉斎が許可され10月2日、御奉遷の儀を斎行した。 |
体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り |
概要 | 夕張神社(ゆうばりじんじゃ)は、北海道夕張市にある神社である。夕張で最も古い神社であり、「夕張市総鎮守」を称する。 |
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歴史 | 歴史[編集] 北炭夕張炭鉱の鎮守として北海道炭礦鉄道(北炭)が登川村字社光(現 夕張市社光)に創建した神祠を発祥とする。明治27年(1894年)、北炭社長の高島嘉右衛門が、炭鉱の鬼門に当たる現在地に社殿を設け、出雲大社と大山祇神社からの分祀を受けて登川神社として創建した。 大正11年(1922年)に火災で全ての建物を焼失、翌年に再建して夕張神社に改称した。昭和4年(1929年)に村社に列格し、昭和9年(1934年)に郷社に昇格した。 日本海軍の軽巡洋艦「夕張」は夕張を水源とする夕張川から名前を取ったものであり、当社の分霊が艦内神社に奉斎されていた。大正12年の再建の際に、海軍の東郷平八郎...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 道路 北海道道夕張岩見沢線沿い 夕張インターチェンジ(道東自動車道)から北に約18km バス 夕鉄バス夕張市内線「夕張神社」停留所 |
引用元情報 | 「夕張神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%95%E5%BC%B5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98956270 |
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