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宮崎神宮ではいただけません
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みやざきじんぐう

宮崎神宮
宮崎県 宮崎神宮駅

神門:5:30~17:30(年間を通して)
幣殿(御社殿):6:00~17:30(年間を通して)
神符守札授与所:8:00~17:00(年間を通して)

御朱印 (2種類)

宮崎神宮でいただける御朱印は2種類です。

  • 宮崎神宮の御朱印
  • 皇宮神社御朱印

宮崎神宮の御朱印

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御朱印について御朱印
あり

宮崎市内!美しい字がステキな御朱印

限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり(社務所前駐車場・宮崎神宮西神苑駐車場 200台)

宮崎神宮について

初代の天皇をお祀りする神社


宮崎神宮は、わが国初代の天皇といわれる神武天皇を御祭神とする神社です。
毎年10月に行われる例大祭(通称「神武さま」)では、多くの参拝者・見物客で賑わいます。
各月の1日は朔日参り(ついたちまいり)と称するお参りの風習があります。
この時には参拝餅として、毎月異なったお餅が販売されます。(なくなり次第終了)

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惣一郎
惣一郎
2023年02月27日(月)
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【日向國 古社巡り】

宮崎神宮(みやざき・じんぐう)は、宮崎県宮崎市神宮にある神社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は神日本磐余彦尊(神武天皇)。

社伝によると、当地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、のちに九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁に因んで創祀したとし、崇神天皇の時代に初めて社殿が造営され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、応神天皇の時代からは日向国造の祖・老男命(おいおのみこと)が祀るようになったとある。文献上の初見は鎌倉時代初期で、1197年に当地地頭職の土持信綱が皇宮屋(こぐや)(現境外摂社)から現在地に遷座し、社殿を造営したとの記録がある。以後、歴代領主の崇敬を受け、1473年には伊藤祐國、1560年には有馬永純、1562年には伊藤義祐がそれぞれ社領を寄進し、1577年には島津義久が米穀や幣帛を奉献している。江戸時代には延岡藩が当地を所領し、1644年には藩主・有馬康純が社殿を造営、1839年には藩主・内藤政義が社殿の修造を行っている。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、のちに国幣中社、官幣大社へと累進した。

当社は、JR日豊本線・宮崎神宮駅の西方400mの市街地の中にある。敷地はとにかく広大で、
最も広い部分で東西・南北ともに500mほどあり、最北部は宮崎県総合博物館になっている。境内南端入口の巨大な鳥居をくぐると、深い緑に覆われた幅が広く長い参道が社殿まで続く、理想的な大社の造り。社殿は屋根のみの大きな拝殿から、左右に長い本殿に向かって参拝する造りになっている。境内社としては大きな宮崎県護国神社と、小さめの五所稲荷神社があるが、緑豊かな場所に離れて建っているので、見て廻るだけで十分な森林浴ができる。

今回は、旧官幣大社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の夕方であったが、まだ1月上旬だからということなのか、観光地としても認識されているのか、老若男女問わず多くの参拝者が訪れていた。

宮崎神宮(宮崎県)

境内南端入口にある巨大なロータリーと<社号標>。県道44号線を北上した突き当りになっている。ロータリーの内側にも大きな神社が1つ作れそう。

宮崎神宮(宮崎県)

境内南端入口の<二の鳥居>。大きな鳥居が小さく見えるほどの広大な敷地に圧倒される。敷地面積は25万㎡で東京ドームの5.3倍。

宮崎神宮(宮崎県)

<二の鳥居>のアップ。ここから高木に覆われた、しっとりとした空気感の参道をまっすぐ北上する。

宮崎神宮(宮崎県)

参道途中にある<三の鳥居>。綺麗に掃き清められた、幅の広い真っ直ぐな参道。
歩いていて清々しく気持ちが引き締まる~♪

宮崎神宮の手水

参道進んで、左側の<手水舎>。

宮崎神宮(宮崎県)

右側には<祓所>。

宮崎神宮(宮崎県)

もう少し進んで、左側の<参拝者休憩所>。

宮崎神宮の建物その他

右側の<授与所>。正月期間中は社殿近くの特設テントが臨時の授与所みたい。

宮崎神宮(宮崎県)

参道突き当りの<正門>。1907年造立。神明造の落ち着いた佇まい。
なお、当宮では神殿(本殿)、幣殿、渡殿、神饌所、御料屋、透間垣、拝所、正門、玉垣、石柵、徴古館の11件が国の登録有形文化財となっている。

宮崎神宮(宮崎県)

いよいよ<神門>をくぐる。

宮崎神宮の授与品その他

神門をくぐって左前方には<臨時授与所>。主に祈祷受付や御朱印などを扱っている。

宮崎神宮(宮崎県)

神門をくぐって右前方にも<臨時授与所>。主におみくじや授与品などを扱っている。

宮崎神宮の建物その他

寝殿をくぐって正面にある<拝所>。

宮崎神宮(宮崎県)

拝所の内側上部に掛かる扁額。中央は「宮崎神宮」、右側は「神武天皇」、左側には「鵜葺草葺不合尊・玉依姫命」とある。

宮崎神宮(宮崎県)

拝殿越しの<幣殿>。後方の神殿(本殿)、渡殿、神饌所、御料屋と合わせ1907年の造立。正面三間側面四間の切妻造。

宮崎神宮(宮崎県)

<社殿>全景。<拝所>と<幣殿>のバランスが良い。

宮崎神宮(宮崎県)

神殿の左側に繋がっている<御料屋>(テントの左後方にあるが、樹木が茂っていてほぼ見えない)。

宮崎神宮(宮崎県)

神殿の右側に繋がっている<神饌所>。

宮崎神宮(宮崎県)

ここで境内南端の二の鳥居近くにある境内社をご紹介。<五所稲荷神社>の入口の鳥居。
ここから何本もの赤い鳥居をくぐって何十mか進む。

宮崎神宮の末社

<五所稲荷神社>の社殿前の鳥居。

宮崎神宮の狛犬

鳥居をくぐって左側の狛犬。子供が描いた狛犬の絵をモチーフにしたかのような超独特な造形。

宮崎神宮(宮崎県)

右側の狛犬。口を開けても、超個性的。

宮崎神宮の本殿

<五所稲荷神社>内部。

宮崎神宮(宮崎県)

<五所稲荷神社>の本殿。

宮崎神宮(宮崎県)

境内の南方800mの、県道44号線上にある<一の鳥居>。1973年落成で、高さ15m、鳥居の高さランキングだと全国で23位みたい~♪ (^▽^)/

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歴史

社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。下って第十代崇神(すじん)天皇、第十二代景行(けいこう)天皇の熊襲(くまそ)ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神(おうじん)天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭(しゅうぞうちんさい)した旨が旧記に伝えられています。

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宮崎神宮の基本情報

住所宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1
行き方

【鉄道】
・JR日豊本線「宮崎神宮」駅下車 徒歩10分
・JR日豊本線「宮崎」駅下車 ※宮崎交通バスに乗り「宮崎神宮」下車 徒歩5分
※(JR宮崎駅からはバスがありません。西出口より徒歩数分、橘通3交差点を渡って右折したところにある「ホテルルートイン宮崎橘通」」バス停から乗車してください。)
・JR日豊本線「南宮崎」駅下車 徒歩で宮交シティへ向かい宮崎交通バスに乗り「宮崎神宮」下車 徒歩5分

【タクシー利用の場合】
・宮崎空港より約30分
・JR宮崎駅より約10分

【宮崎空港から向かう場合】
宮崎交通バスに乗り「宮交シティ」で一度下車したあと、宮崎神宮行きへ乗り換えとなります。(直通便がありません)

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名称宮崎神宮
読み方みやざきじんぐう
参拝時間

神門:5:30~17:30(年間を通して)
幣殿(御社殿):6:00~17:30(年間を通して)
神符守札授与所:8:00~17:00(年間を通して)

御朱印あり

宮崎市内!美しい字がステキな御朱印

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0985-27-4004
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://miyazakijingu.jp
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主祭神》
神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)=神武天皇(じんむてんのう)

《相殿神》
鵜鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと):御父君 
玉依姫命(たまよりひめのみこと):御母君
創建時代不詳
創始者健磐龍命(たけいわたつのみこと)
本殿本殿(神明流造) 幣殿(神明造) 拝所(神明流造)
ご由緒

社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。下って第十代崇神(すじん)天皇、第十二代景行(けいこう)天皇の熊襲(くまそ)ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神(おうじん)天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭(しゅうぞうちんさい)した旨が旧記に伝えられています。

体験お祓いお宮参り絵馬結婚式七五三食事・カフェ御朱印お守り
供養葬儀

Wikipediaからの引用

概要
宮﨑神宮(みやざきじんぐう)は、宮崎県宮崎市神宮にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
歴史
由緒[編集] 社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁にちなんで創祀したといい、崇神天皇の時代に初めて社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、さらに応神天皇の時代からは『国造本紀』に載せる日向国造の祖、老男命(おいおのみこと)が祀るようになったと伝える。 古くから鎮座していたのは確かで、上古の由緒は上記の通りだが、文献上の初見は鎌倉時代初めまで降り、当地の地頭職にあった土持信綱が現在地に社殿を造営し、皇宮屋(こぐや)(現 境外摂社)から建久8年(1197年)に遷座したという記録である[1...Wikipediaで続きを読む
行事
神事[編集] 神武天皇祭(4月3日) - 神事流鏑馬を行うが、この流鏑馬は1940年の紀元2600年奉祝行事の一環として古儀に則り復興されたもの。4月3日は神武天皇崩御の日である。 宮崎神宮大祭(御神幸祭)(例祭後の土・日曜日) - 当宮から瀬頭と大淀の御旅所(隔年で交替)まで、神輿を中心にシャンシャン馬や稚児行列が練り歩く。 明治時代には、天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫(天孫)ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の御陵と伝えられる前方後円墳に立つ奈古(なご)神社(宮崎市南方町、明治4年以前は長屋神社とも呼んだ)が宮崎神宮大祭のスタート地点となり、宮崎神宮まで練り歩いた。※宮崎県内では、西都...Wikipediaで続きを読む
引用元情報宮崎神宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=102021471
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