御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ
パーキング
駐車場
なし

なし

御朱印について御朱印
-
ありません

歴史

古くは岩上神社・石神神社とも言われ、中山神社の社名は、鎌倉初期の内大臣中山忠親の邸宅跡に造営されたからと伝わる。延暦13年、桓武天皇の勅命により素盞鳴命を主神とし、朝夕、内裏の門を守護する櫛石窓神・豊石窓神の二柱を併祀した。その後、『百錬抄』に「永享5年6月16日、冷泉院石上明神、神殿に移る」とみえ、嵯峨天皇の後院冷泉院の鎮守社になっている。永享6年には従三位、天喜元年には初めて官幣を受ける。冷泉院荒廃後も旧地にあり、健保2年、冷泉院と共に焼亡する。『明徳記』には明徳2年の乱に社前で合戦があったと記されている。慶長7年、二条城造営に際し岩神町に移転、天明8年の火災では再造営され、その後、石上寺と号し社僧の管理となった。江戸期には「乳汁漏出」の絵馬が掲げられ、母乳・子育ての神様として女性の信仰を集めていた。

歴史をもっと見る|
2

中山神社の基本情報

住所

京都府京都市中京区岩上通六角下ル岩上町748

行き方

市バス 堀川三条駅より徒歩約3分
地下鉄東西線二条城前駅より徒歩約15分

アクセスを詳しく見る
名称

中山神社

読み方

なかやまじんじゃ

通称

岩上宮、岩上大明神

参拝時間

24時間

参拝料

なし

詳細情報

ご祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)
櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
豊石窓神(とよいわまどのかみ)
創建時代

創建 794年

創始者

桓武天皇

本殿

本殿 神明造

ご由緒

古くは岩上神社・石神神社とも言われ、中山神社の社名は、鎌倉初期の内大臣中山忠親の邸宅跡に造営されたからと伝わる。延暦13年、桓武天皇の勅命により素盞鳴命を主神とし、朝夕、内裏の門を守護する櫛石窓神・豊石窓神の二柱を併祀した。その後、『百錬抄』に「永享5年6月16日、冷泉院石上明神、神殿に移る」とみえ、嵯峨天皇の後院冷泉院の鎮守社になっている。永享6年には従三位、天喜元年には初めて官幣を受ける。冷泉院荒廃後も旧地にあり、健保2年、冷泉院と共に焼亡する。『明徳記』には明徳2年の乱に社前で合戦があったと記されている。慶長7年、二条城造営に際し岩神町に移転、天明8年の火災では再造営され、その後、石上寺と号し社僧の管理となった。江戸期には「乳汁漏出」の絵馬が掲げられ、母乳・子育ての神様として女性の信仰を集めていた。

ご利益安産祈願・子宝
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ